Addiction Report (アディクションレポート)

初めて両親を拒絶した日 患者家族、作家、薬剤師~3つの立場から見た依存症~(16)

人と話すのが苦手で、酒と旅が好き。実家を出て外の世界とぶつかりながら、私はやっと自分の向き不向きを知る。そんな中、距離を置いていた父親が突然「アパートへ行く」と言い出す。私は悩んだ末に、ある決断を下す……。

初めて両親を拒絶した日 患者家族、作家、薬剤師~3つの立場から見た依存症~(16)
旅先の写真。旅に出るのは、親の価値観から逃げる意図もあったのかもしれない。

公開日:2026/08/22 02:00

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患者家族、作家、薬剤師~3つの立場から見た依存症~

飲食店のアルバイトで過呼吸に

塾のアルバイトを辞めてから、私はカフェのアルバイトを始めた。繁華街の近くにあるチェーン店のカフェだった。酒や旅行に使うお金を稼ぎたかった。

最初は張り切って働いていたが、カフェのアルバイトは一ヵ月ほどで辞めてしまった。人と接するときの緊張感が強すぎたのだ。

オーダーを取ってレジで会計を打つ。ドリンクを作る。料理を席まで運ぶ。一つひとつの仕事はすぐ覚えられるのに、人と接するときは頭が真っ白になってしまう。

特に怖いのは、父に近い年代の男性だった。お釣りが合っているかわからなくなり、コーヒーのカップを持つ手が震えた。

店長からの注意も、パニックの原因だった。

「お客さん待たせてるから早く運んで!」

冷静に考えれば、なんてことはないただの指示だ。頭ではわかっていても、体がすくんでしまう。

自分の意思ではどうにもできず、次第にアルバイト先へ向かう足取りが重くなる。最後には過呼吸を起こして、店に立っていられなくなった。

――飲食店で働くのは無理だ。

私ははっきりと悟った。

自分の挙動一つで、客の機嫌を損ねてしまうかもしれない。ふとした拍子に、頭が真っ白になってしまう。

誰かに強く責められるたび、父の記憶がフラッシュバックした。泥酔した父親から繰り返し怒鳴られた体験が、実家を出てからもトラウマになっていた。

以前にバーで働いていたこともあったが、主に裏方の仕事だったので問題はなかった。加えて、バーに来るのはほとんど常連客ばかりだった。

対してカフェの仕事では、不特定多数の客に対して接客から裏方までこなさなければならない。常連客ばかりのバーとは勝手が違った。

カフェのアルバイトは挫折に終わったが、その後は私を拾ってくれる場所にも出会えた。

いつも通っていた店の常連客が個別塾の塾長をしており、塾講師を探していたのだ。

もらった名刺の電話番号へ連絡すると、トントン拍子に採用が決まった。以前経験していたこともあり、新しい塾でもすぐ仕事に慣れた。

塾長は穏やかな人だったので、声を荒げて指示を出すようなことはなかった。そのおかげか、塾講師のアルバイトを再開してからパニックにはならなくなった。

私は生徒との会話には苦手意識を感じない。相手が年下で、勉強について話すときは緊張せずに話せるようだ。

親に強いられて始めたとはいえ、私は勉強そのものを嫌いではなかった。酒や勉強など、好きなものを通して人と関わるのは好きだと気付いた。

アルコール依存の父を初めて拒絶した

アルバイト、飲み歩き、一人旅。大学に入ってから体当たりで経験を重ねるうちに、私は自分の輪郭を知った。

学校は嫌いで、酒や旅が好き。人と話すのは苦手なものの、人に教える仕事は得意。

親から離れて自分の意思で挑戦したからこそ、自分がどんな人間か知るきっかけになった。

親元で暮らすうちは、何をするにも親の機嫌が気になっていた。あのまま実家で暮らしていたら、私は失敗すらできなかったかもしれない。

少なくとも大学を卒業するまでは、このまま自分の好きなことや得意なことを追いかけて暮らしたい――。

そう思っていた矢先、ある日の夜に突然父から電話がかかってきた。電話に出ると、父は明らかに泥酔していた。

ところどころ呂律の回っていない口で、父は私にこう言った。

「今度の週末、アパートに行くから」

父の振る舞いはこちらの都合などお構いなしに、自分の都合だけ通そうという態度だった。私が「テストが近いから日程を変えてほしい」と言っても、父は全く聞かなかった。

大学に入って間もないころも、父がアパートに来たことがあった。父はアパートに来るなりウイスキーのボトルを半分ほど空けて、私や一緒に来た母に絡み、挙げ句部屋の中でタバコまで吸っていた。

当時は「父だから仕方ない」と諦め、嵐が過ぎるのを待つようにただ耐えていた。どれほど憎んでいても、今までは父に表立って逆らおうとはしなかった。

かつては「明日になれば父は落ち着く」「いつか父も自分のしたことを反省して、謝ってくれる」と自分に言い聞かせていた。

しかし当時の私は久しぶりに父の声を聞いたとき、胃の奥がカッと熱くなるのを感じた。親から離れて、私はやっと自分の感情をはっきりと感じ取れるようになっていた。

「父に会いたくない」

このとき初めて、私は父親を拒絶しようと決心した。

拒絶するといっても、面と向かって父に逆らう勇気はなかった。実家にいたころに一度だけ、父に反抗したせいで過呼吸になるまで蹴られたことがある。

どれだけ断っても、父はアパートへ来るだろう。母が合鍵を持っているので、立てこもるのも難しい。

悩んだ末、私はアパートから逃げることにした。

「今度の週末、そっちに泊めてほしい」

家族から逃げるために、私は彼の家に避難させてもらえないか頼んだ。彼も上京していて一人暮らしだったので、大学に入ってから時々泊まりに行っていた。

もともと、彼に父親の酒癖に悩んでいるという話はしていた。詳しい事情は話さなかったが、彼は快く受け入れてくれた。

週末、両親が来る数時間前に私はアパートを出た。部屋を掃除して、手紙を書いた。

「酔って怒鳴る父親と、一緒に過ごすのが苦痛だ」

「来るならこちらの都合も考えてほしい」

父を拒絶するとともに、母にも私の怒りを伝えたかった。

テーブルの上に置き手紙を残し、彼が住むアパートへ2時間かけて向かった。父への怒りと罪悪感が、堂々巡りを繰り返していた。

宮城県からはるばる来た両親を拒絶するのは、間違っているのだろうか……。いや、父がこちらの都合など考えないのだから、こちらにだって拒絶する権利はあるはずだ。

電車に揺られながら悶々としていた。安全な場所へ避難できるのに、気持ちは落ち着かなかった。

私にとって、家族は呪いだった

週末を彼と過ごして、週明けに自分のアパートへ戻った。部屋には母からの手紙と、スピリチュアル系の自己啓発本が置かれていた。

「これから家族で一緒に過ごせる時間はもっと少なくなるよ。

お母さんは、今のうちに家族と過ごす時間を大事にしたかった」

「お母さんの気持ちが楽になった本を置いておきます」

母の手紙には、母自身の気持ちしか書いていなかった。母は、父がアルコール依存だという事実と向き合いたくないようだった。

母の言う「家族」から、私は暴言を受けて困っている。どれほど言葉を尽くしても、母にはそれが伝わらない。

母の手紙を読んでから、私は家族というつながりに希望を持てなくなっていた。

私が親から離れて自分の道を進んだとしても、彼らと親子である事実は変わらない。父から怒鳴られたトラウマも心に刻み込まれている。

私には、家族というつながりが絆ではなくむしろ呪いに思えた。

アルコール依存の父と、スピリチュアルに没頭する母親。そして両親の血を引く私もまた、アルコールやアルバイトに依存してきた。

将来もし彼と結婚したとしても、私もまた両親のように依存し合う関係を築いてしまうのだろうか。そう考えると恐ろしかった。

薬学科の学生には、「結婚して子どもができても、パートで働き続けられる」という理由で進路を決める人も多い。私が母に薬剤師をすすめられたのも、同じ理由だ。

母を見ていると、私にはその選択が幸せなものには見えなかった。

母も薬剤師としてパートで働いていたが、アルコール依存症の父には逆らえず、挙句スピリチュアルに今までのパート代をつぎ込んでいた。

私は家族を持たずに生きていく道を考えた。薬剤師になれなくてもいい。好きなように生きて、一人で死のうと思った。

私の生き方は再び享楽的に、荒んだものになっていく。

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