母のブログはパンドラの箱だった 患者家族、作家、薬剤師~3つの立場から見た依存症~(15)
大学3年生になってから、ネットで母のブログを偶然見つけた。ブログを読んで、私は母がスピリチュアルに傾倒していることを知る。私が酒や旅によって自分の人生を取り戻そうとしている間、母もまた自分を認めてくれる存在を探していたのだった。

公開日:2026/08/10 01:00
SNSには見知らぬ母がいた
旅から帰ってから、私は大学3年生になった。ちょうどそのころ、ネットで母のブログを見つけた。
母は内向的で、私の知る限り親しい友人も多くはない。私は母がブログで積極的に発信するような性格とは思えなかったので、意外に思った。
ブログを読んでみると、そこには私が知らない母がいた。
「自己肯定感の低い私が、自分を愛せるようになった秘密を教えます!」
「Iさんのセミナーに参加しました!」
「Iさんの治療法を自分に試してみたら、片頭痛が治ったんです!」
Iさんとはスピリチュアルな民間療法を実践している人らしい。母はIさんに傾倒するだけでなく、その治療を実践し広める人になりたいようだった。
母はIさん以外のセミナーにも参加しており、「すでにセミナーだけで数百万円を使っている」とブログに書いていた。
――これは本当に母なのだろうか?
記憶の中にいる母とブログの文章から見える母は、まるで別人のようだ。
昔の母は、自己主張をしない人だった。優柔不断で、人にばかり合わせている。だから父にも逆らえないし、父が酔っても甲斐甲斐しく世話をしていた。
父から私たちを守ってくれない母を、私は軽蔑していた。
一方で、実家に住んでいたころの私は母の世話好きなところに甘えてもいた。
家事は母に任せてほとんど手伝わなかったし、高校生のころは自習のために朝早くから弁当を作ってもらっていた。
父と違って、母は私たち子どもに見返りを求めるような言動をしなかった。母は自分の気持ちを表に出さないので、私は母とケンカらしいケンカをしたことがない。
かつての私は母のことを、「自分がない人」だと感じていた。
皮肉なことに私は実家を出てから、ブログの文章を読んで初めて母の意思を感じた。私が実家を出てから、母に大きな変化があったことは明らかだった。
「そのみかん、波動が入っているの」
その後、法事のために帰省する機会があった。
母と話すのは久しぶりだったが、以前と変わらないように見える。しかし実家で過ごすうちに、私は家のあちこちに違和感を持った。
例えばトイレに入ると、壁に誰かの格言を書いたポスターが貼ってある。謎のロゴマークが付いた化粧品やサプリメントが、家のあちこちを埋めている。
夜に風呂から上がると、キッチンで母がサプリメントを飲んでいた。サプリメントの瓶にも、同じロゴマークが付いていた。
「これ、1万円もしたの」
「お母さん、これからは自分を大事にするって決めたの。自分のためにお金を使いたい」
母の意思は固いようだった。スピリチュアルはすでに母にとって、自分を大事にする唯一の存在になっていた。
本当は母を止めたかった。旅行でも習い事でも、他にいくらでも楽しみを見つければいいではないか、と咎めたかった。
しかし私が母を非難すれば、母は心を閉ざしてしまうだろう。私は何を言えばいいかわからなかった。
テーブルの上にあるみかんを指さして、以前と同じような笑顔で母は言った。
「そこのみかんも、Iさんの波動が入ってるんだよ」
――母はもう、壊れてしまったのかもしれない。
以前と変わらない表情で笑う母を見ながら、私は呆然としていた。みかんには手を付けなかった。
実家からアパートへ帰ってからも、母からスピリチュアルに関する本が定期的に届いた。手紙にもスピリチュアルの話ばかり書かれていた。
母からの荷物が届くたびに、私は憂鬱な気持ちになった。
母は薬剤師として働いていた。うっとうしいと感じることもあったが、私は少なくとも薬剤師としての母のことは信頼していた。
私が高校生のころ、母が子宮頸がんを防ぐHPVワクチンを打つようすすめてきた。副反応がニュースになり、当時は積極的に推奨されていなかった。
それでも母は「今のうちに打っておいた方がいいよ」と言ってくれた。面倒ではあったが、私は母の言う通りにワクチンを接種していた。
薬学部に入り病気や薬の勉強をしてから、私は母の判断に感謝していた。
母は抜けているところもあったが、かつては科学的な根拠のない治療法を盲信するようなことはなかった。
母自身は生きているが、かつての母は死んでしまったような気がした。目の前の母が理解できず、不気味で恐ろしいとさえ思った。
母もまた、自分の人生を取り戻したかったのだろうか?
私は最初、母が変わってしまったことを父のせいにしていた。父がアルコールに依存して母に当たるから、母がおかしくなってしまったのだ、と。
しかし母のブログを読んでいると、理由はそれほど単純ではないような気がした。思えば私が実家にいたころから、母の本棚にはいつも数えきれないほどの自己啓発本があった。
スピリチュアルに出会う前から、母は悩んでいたのかもしれない。
母が何を考えているか知りたくて、私は100記事以上のブログ記事を一つひとつ読んだ。民間療法やスピリチュアルについて書いた文章の中で、母は時々家族のことを書いていた。
「夫はとても優しいのですが、お酒を飲むと性格が変わってしまいます。
隣の部屋からエネルギーを送ると、落ち着いてくれました」
「母(私にとっての祖母)は厳しい人で、私は怒られてばかりいました。『自分なんて』と思っていました。
でもIさんに出会ってから、私は自分を愛せるようになったんです」
ブログを読みながら、私は母を哀れだと思うようになった。
母もまた、自分の意思で生きられなかった人だ。
母は祖母に厳しく育てられ、医者の娘として子どものころから勉強ばかりさせられていた。
祖母の反対を押し切って父と結婚したのはいいものの、父はアルコール依存症だった。母は実家にいたころは祖母の顔色をうかがい、結婚してからは父の機嫌をとっていた。
子育ても思い通りにいかなかったことだろう。弟はまっすぐ素直に育ったが、私は不登校になり受験にも失敗した。
手がかからなくなったころには、私も弟も実家を出て母の元を離れてしまった。
私の存在もまた、母がスピリチュアルに傾倒する原因の一つだったのかもしれない。そう思うと罪悪感があった。
最初の方に書かれたブログを読んでいたら、私の不登校について触れていた。不登校の子どもを持つ読者に向けて、母はこう書いていた。
「お母さん!まずはあなたが幸せになってください!」
当時の母にとって、不登校の私は悩みの種だったに違いない。母の文章は、自分が言ってほしかった言葉を書いているように見えた。
母にとって、今やスピリチュアルは唯一ありのままの自分を認める手段だ。
私がアルバイトや酒にすがったように、母にとってはスピリチュアルが自分の人生を生きる方法なのだろう。
私は母を好きではなかったし、今でもスピリチュアルに没頭する母には共感できない。
それでも「自分の人生を取り戻したい」という切実さは理解できるような気がした。
しばらくして母は薬剤師の仕事を辞め、自宅でスピリチュアルサロンを開業した。今の暮らしが母の思う、自分らしい生き方なのかもしれない。
今でも時々、母はブログを更新している。酒を飲んで暴れる父に、母はエネルギーを送り続けているようだ。父の酒癖が治ったという話は、今のところ聞かない。
スピリチュアルに出会う前の母に戻ってほしい、という気持ちは今でもある。この文章を書きながら、どうすれば母をスピリチュアルの世界から連れ戻せたか考えた。
答えは出せなかった。
そもそも、母の選んだ道を変えようとするのは傲慢な考えなのかもしれない。
母が抜け出したいと思っているならまだしも、母は望んでスピリチュアルの道へ進んだのだ。
私にできるのは、母を変えようとあがくことではない。
母の人生を変えられない以上、私にできるのは自分の人生を歩むことだけだ。
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