Addiction Report (アディクションレポート)

幸福って何なんだろう?こんな世の中だから、「幸福」について考えたい。「失われた私」を探して(56)

「幸福」ってなんだろう。人それぞれ幸福の形があり、利害が対立して争いを生むことだってある。「幸福にならなきゃ!」という執着から解放されることが、私たちには必要なのかもしれない。

幸福って何なんだろう?こんな世の中だから、「幸福」について考えたい。「失われた私」を探して(56)
撮影・黒羽政士

公開日:2026/08/20 00:31

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「失われた私」を探して

「幸福」への欲求が争いを生むのだとしたら、

私たちは「幸福」の定義を見直すべきなのかもしれない。

「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」

これは、トルストイの著作「アンナ・カレーニナ」に出て来る有名な言葉。

よく名言集みたいな本にも引用されてるし、なんかものすごくもっともらしいけど、私はいつも「そうかぁ?」と首を傾げてしまうの。

そもそも、トルストイの言う「幸福な家庭」って、どんな家庭なんだ?

優しくて立派な父親と愛情に満ちた母親に庇護されて、すくすくと育つ無邪気で健康な子供たち……的な?

トルストイがどんな家庭を「幸福な家庭」と考えていたのか知らないが、一見、幸福そうに見える家庭にもそれぞれの事情はあるだろうし、「幸福」ってそんな没個性なテンプレではないと思う。

傍目には理解不能で奇妙な生き方でも、本人が満ち足りているのなら、それもまたひとつの幸福。

たとえばホストに沼ってる女子が立ちんぼしながら「これがあたしの幸福なの!」と言い張るのなら、「そんなの幸福なんかじゃないよ!」と断じる権利なんか、誰にもない。

トルストイには悪いけど、幸福ほど千差万別なものはない、とすら感じてるわ。

私はホストにも狂ったし買い物にも狂ったし、そのたびに傷ついたり苦しんだりしたけど、あの日々に味わっためくるめく恍惚感を決して忘れたくない。

あれは幸福ではなかったかもしれないけど、私の幸福探しに欠かせない経験だったから。

今はなんだか落ち着いちゃって、平々凡々な田舎暮らしもそれなりに満ち足りてるけど、こんな日常を愛せるようになったのは、必死で幸福を探し回ったあの日々があったから。

あの体験がなかったら、私、何にも満足できなくて未だに飢えてさまよってる気がする。

やりたいことやり尽くして「もう、いいや」って思えたから、私はもう幸福なんか探し回らないことにしたの。

そしたら、めっちゃラクになった。

「ラク=幸福」とは思わないけど、幸福を必要としなくなったのは確かね。

私はね、「幸福」というのは結局、空想の産物じゃないかと思うのよ。

幸福があると思うから、みんな幸福じゃなくなっちゃうんでしょ?

でもさ、幸福って、いったい何なの?

願望や欲望を満たしたら幸福になれる気がするけど、みんながそれぞれの願望や欲望を満たしたら、はたして世界は幸福に満たされるかしら?

たとえば「戦争」について考えてみましょ。

「戦争のない平和な世界は幸福である」という意見は、一見もっともだし、誰もが賛同すると思う。

だって戦争は、多くの苦しみや悲しみを生むからね。

子供の亡骸を抱き締めて慟哭してる母親の映像なんか見ると、本当に胸が痛むよ。

でも、それじゃ何故、戦争は起こるの?

戦争が起こるのは、両者の利害が対立するから。

つまり、戦争の目的は「欲望の充足」だよね。

そして「欲望の充足」は、幸福のひとつの形だ。

こんな人生を手に入れたい、こんな自分になりたい、こんなふうに愛されたい……みんな、それぞれの欲望を抱えて生きている。

そして、その欲望が満たされた瞬間、絶大なる幸福感が押し寄せるわけ。

それが欲しくて、人は、自分の欲望充足を阻む相手を憎み、全力で排除しようとする。

つまり、戦争は、幸福と幸福のぶつかり合いなのよね。

じゃあ、こういうこと?

欲望を持つと戦争になるのなら、みんなが欲望を放棄すれば平和な世界が実現する、と。

うん、確かにそうだ。

でもさ、だとしたら、戦争のない平和な世界って、欲望が満たされない世界ってことにならない?

ねぇ、それ、「幸福」な世界なの?

欲望や願望を持つことさえ禁じられた世界が「幸福」なのかどうか、私には疑問だわ。

誤解しないで欲しいんだけど、私は「戦争」を肯定してるわけじゃないの。

戦争なんて、絶対に嫌よ。

だけど、人々がみんな幸福を実現しようとしたら、そこには必ず摩擦が起きて、戦争に繋がる。

だって、幸福は千差万別だから、誰かの幸福と私の幸福がぶつかり合うのは避けられないのよ。

我々は、自分も幸福になりたいし、他のみんなも幸福になればいいと望みながら、戦争のない平和な世界をも望んでしまう。

とっても矛盾した、虫のいい願いだと思わざるを得ないわね。

すべての人の幸福の延長線上に、平和は存在しないのよ。

もちろん、「幸福」を「欲望の充足」と定義した場合だけどね。

私たちは「幸福」に縛られて、

自らを「不幸」にしてるんじゃないか?

「戦争と平和」(あら、これもトルストイだわね!)の話が出たついでに、「平等」という幻想の話もしたいと思う。

「すべての人間が平等である世界こそが幸福な世界」という考え、まぁ理屈では確かにそうだと思うけど、みんな本当に平等なんか望んでるのかしら?

自分の特権や財産と引き換えに、誰かにとっての平等が成立するのだとしたら、あなたは自分のものを手放せる?

人って、一度手にしたものを、おいそれとは手放せないものよ。

たとえば、「外国人排斥問題」。

自国で幸せになれない人々が、よその国で幸せを手に入れたいと願うのは、私、仕方ないことだと思ってる。

幸せになりたいと願うのは、人として当然でしょ?

幸福になる権利は、彼らにも平等に与えられるべきだと思うの。

だってさ、自分が貧困や戦争に喘ぐ国に生まれてたら、私だってどこかよその国で幸福になりたいと望むわよ。

でも、外国人によって自分の幸福が脅かされると感じる人はいて、その人たちは自分の幸福や安全を護るために、外国人の流入を望まないのよね。

つまり、平等によって自分の幸福が侵害されると考える人がいる限り、平等な世界は実現不可能ってわけ。

ほらね、結局、「平和」も「平等」も、「幸福」とは相容れない。

だって、みんな、自分の欲望を手放せないもん。

だけど、「平和」も「平等」も、必要な概念だとは思うのよ。

そのためには、私たちが「幸福」への執着から解放される必要があるのかも。

そりゃ、みんな、不幸は嫌だよ。

幸福になりたいよ。

でも、そもそも「幸福」って何なんだ、という話なのよ。

もしかしたら、「幸福」という概念自体が、私たちの空想の産物なのかもしれない。

「幸福にならなきゃ!」って思うから、私たちは不幸なのかもしれない。

私たちはみんな、少しずつ不幸なの。

完璧な幸福なんて、どこにもないの。

だから、目の前の不幸とうまくやっていく。

配られたカードで、なんとかやりくりしていく方法を考える。

他の人のカードを欲しがるんじゃなく、自分のカードで生きていく。

そんな生き方が見つけられたら、それが本当の「幸福」なのかもしれないね。

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