Addiction Report (アディクションレポート)

無理して役に立つ人間になる必要なんかなかった。無為無用こそが、私の見つけたゴール地点。「失われた私」を探して(59)

千葉県の片隅に引っ越して1年半が過ぎた。この田舎暮らしがやけに気に入っているのは、何もしなくていいから。かつて、誰かの、何かの役に立たなければ生きる価値がないと自分を苦しめていた私から、やっと解放されました。

無理して役に立つ人間になる必要なんかなかった。無為無用こそが、私の見つけたゴール地点。「失われた私」を探して(59)
撮影・黒羽政士

公開日:2026/10/05 02:57

関連するタグ

連載名

「失われた私」を探して

田舎暮らしが快適なのは、

役立たずでいいじゃんと思えるようになったから。

千葉県の片隅に引っ越して1年半が過ぎた。

もうすっかり田舎暮らしに慣れて、毎日が快適。

なんかもう、かつてないほど伸び伸びと生きてる気がする。

最初は「やっぱり自然の中で暮らすことが心にいい影響を与えてるのかなぁ」などと思っていた。

空が広いし、夕焼けは感動的だし、満天の星は美しい。

いつまで見ていても飽きないわ~、なんて周りに吹聴していたのだ。

だが、壮麗な夕焼け空にも、吸い込まれそうな星空にも、今やすっかり飽きてしまった。

わざわざ空を見上げに、庭に出ることもなくなった。

あら、やだ。

べつに私、大自然に癒やされたわけじゃなかったのね。

でも相変わらず、田舎暮らしはとても気に入ってる。

何故だろう?

車がないとどこにも行けないし、大雨が降ると電車が止まるような、不便極まりないこんな田舎のどこがいいんだろ、私?

ここ最近、そう自問自答していたのだが、ついこの間、その答を見つけた気がした。

そうか、田舎暮らしの良さって、「何もしなくていい」からだ!

東京に住んでた頃も、仕事なくなったし身体は不自由になったしで、何もしない無為の日々を送ってはいたんだけど、「何もしないこと」にひどく罪悪感を抱いてた。

何もしてない私は、誰の役にも立ってない。

何もできることがない私は、社会から必要とされてない。

需要のない人間に、価値はあるのか?

こんな役立たずの人生、終わらせてもいいんじゃない?

そんなことを頭の中でグルグル考えているうちに、どんどん気が滅入ってきて、本気で死のうと考えたのだ。

うん、あの頃はつらかったね、私。

だけど田舎に引っ越して来たら、「何もしないこと」が苦しくなくなった。

そもそも何もない場所だから、やることないのは当たり前。

近所の住人たちも老人ばかりで、みんな犬の散歩くらいしかやることなさそうだし。

そっか、やることなければ、べつに何もしなくていいんじゃん。

そんなふうに思い始めたら、なんだかすごくラクになったのだ。

確かに私、誰の役にも立ってない。

でも、誰かの役に立たなきゃ、生きてる意味ないの?

そんなことないでしょう。

田んぼで夜通し鳴いてる蛙たちだって、何の役にも立ってないけど、なんか一生懸命にメスを呼んでる。

そんなに必死で子孫残したところで、たいした未来が待ってるわけでもないのにね。

こいつらが絶滅したって、たぶん地球に大きな影響なさそうだし。

だけどさ、生き物ってそもそも、そんなものじゃないの?

何かの役に立ってるとか、誰かに必要とされてるとか、そんなの関係なく生きて死ぬ。

私も、それでいいのかも。

何かの役に立たなきゃ、誰かに必要とされなきゃって、社会に思い込まされてるだけで、じつはそんなことで私の人生の意味や価値が増減するわけじゃないよね、よく考えたら。

そうだ、私もただの生き物なんだ。

蛙みたいに生きてもいいんだ。

何もしないでただゲコゲコ鳴いてるだけでも、べつに誰から罰せられるわけでもないし、非難される筋合いもない。

世間には「老人は役立たずだから早く死んだ方が社会のため」とか言う人がいるけどさ、なんで社会のために生きたり死んだりしないといけないわけ?

ただ無為に生きてて、何が悪いの?

その人たちは、自分が役立たずの老人や病人になったら、とっとと死ぬつもりでいるのかしら?

そんなわけないわよね。

どうせ、そうなったら「老人にも生きる権利がー!」とか言い出すはずよ。

何が権利よ、バカバカしい。

私たち、権利があるから生きてるわけじゃないでしょう?

生まれて来たから生きてるだけだよ。

自分が生きる理由を誰かに保証してもらわなくたって、私は生きていけるもん。

誰かの役に立つために、私は生まれて来たわけじゃない。

そこで思い出したのが、以前、中国史学者の渡邉義浩先生に教わった「無用の用」という言葉。

「何の役にも立ってないような物でも、何かの役には立っている」という考え方らしい。

うん、それ、いいね。

必死で役に立とうと頑張らなくていいんだよ、と、そっと肩を抱いてくれるような言葉じゃないか。

私はかつて、自分の価値を認めてもらおうと懸命になっていた。

最初の結婚でも、夫の役に立ちたいとか必要とされる存在でありたいとか、そんなことばかり考えてた。

だから全力で頑張ったつもりだったけど、その結果は、ただただ自分が消耗しただけだったよ。

感謝もされなかったし、それどころか相手はますます増長して、何でも言うことを聞く都合のいい存在として扱われた。

誰かのために自分を削るなんて、意味ないと思ったわ。

私は私のために生きていいの。

自立とは、自分の価値を誰かの評価に委ねないこと。

もちろん、社会の評価にもね。

「おまえみたいな役立たずに価値はない」と言われたら、「あなたの役に立つために私は生きてるわけじゃない」と言い返せばいい。

「誰にも必要とされなくて可哀想だね」なんて憐れまれたら、「誰かに必要とされたくて自分を失くしてしまう人生の方が可哀想」って思えばいい。

私たちはいろんな思い込みを刷り込まれるけど、たいていは誰かが、あるいは社会が、あなたを都合よく縛り付けるために作り上げたルールに過ぎないの。

よくよく考えると、自分にとっては無意味なルールだったりするのよ。

あなたの愛やあなたの命は、あなたのために存在する。

だから、他人のルールに乗っ取られて自分を卑下する必要ないの。

子供の頃のイジメにしろ、学校内での評価にしろ、大人になって振り返ってみれば、所詮、狭い世界のローカルルールに過ぎなかった。

ということは、あなたを取り巻く社会の評価基準だって、アテにならないってこと。

時代や場所が変われば、あっという間に引っくり返る。

そんなものに裁かれて一喜一憂するより、自分が心地よくいられる場所を探した方がいい。

東京に住んでた頃は無為に生きることを恥じていたけど、田舎に住んでみたら無為ほどラクなものはない、と気づいた私のように。

他人のルールが生きづらいのなら、そこからさっさと降りちゃえばいいのよ。

降りてしまえば「なーんだ、バカみたい」って思えるの。

頑張って役に立つ部品になろうとしてたけど、そんな必要なかったんだわ、と。

私は何かの部品になるために生まれてきたんじゃないもの。

田舎で暮らして初めて、私は何かに責め立てられるような強迫観念から解放された。

周りの人々から常にジャッジされてるような居心地の悪さも消え失せた。

もう戦わないし、頑張らない。

ヘラヘラ笑って、無為無用に生きていくことにしたわ。

役立たず人生、万歳!

ここが私の終着点よ。


【中村うさぎさんに答えてもらいたい人生相談募集】

中村うさぎさんに答えてもらいたい人生相談を募集します。「失われた私」を探してで扱うテーマに絡むお悩みがありましたら、担当編集の岩永宛(info@addiction.report)に、【1】お名前(ニックネーム可)【2】年齢(掲載時にこちらでぼかします)【3】相談内容(400文字以内)を書いてお送りください。医療相談や経済相談は受け付けておりません。この連載で回答を掲載します。

関連記事

「失われた私」を探して

コメント

コメントポリシー

投稿いただいたコメントは、編集スタッフが確認した上で掲載します。掲載したコメントはAddiction Reportの記事やサービスに転載、利用する場合があります。
コメントのタイトル・本文は編集スタッフの判断で修正したり、全部、または一部を非掲載とさせていただいたりする場合もあります。
次のようなコメントは非掲載、または削除します。

  • 記事との関係が認められない場合
  • 特定の個人、組織を誹謗中傷し、名誉を傷つける内容を含む場合
  • 第三者の著作権などを侵害する内容を含む場合
  • 特定の企業や団体、商品の宣伝、販売促進を主な目的とする場合
  • 事実に反した情報や誤解させる内容を書いている場合
  • 公序良俗、法令に反した内容の情報を含む場合
  • 個人情報を書き込んだ場合
  • メールアドレス、他サイトへのリンクがある場合
  • その他、編集スタッフが不適切と判断した場合

編集方針に同意する方のみ投稿ができます。以上、あらかじめ、ご了承ください。