Addiction Report (アディクションレポート)

誰かを責めることで、自分を救おうとする人たち。でも、その方法は、自分も他人も救いません。「失われた私」を探して(61)

電車に飛び込んで自死した人を「迷惑だ」と責める人も、彼を追い込んだ社会を責める人も、どちらにも違和感があります。「被害/加害」の構図を解体すると、その先に見えるのは「お互い様」という視点。その精神で許容し合えば、私たちはもっと楽に生きられるのでは?

誰かを責めることで、自分を救おうとする人たち。でも、その方法は、自分も他人も救いません。「失われた私」を探して(61)
撮影・黒羽政士

公開日:2026/11/05 03:00

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「失われた私」を探して

自死した人を叩く人、社会のせいにする人。

だけどみんな、何かから目を逸らしている気がします。


つい最近、Xで自死を表明して電車に飛び込んだ人が話題になりました。

驚いたことに、SNSは、亡くなった人を批判するコメントで溢れかえっていました。

そのせいで電車が遅延して、どれだけの迷惑を蒙った人たちがいたか。

心ならずも人を轢いてしまった運転手や、事後処理にあたった人たちが、どれだけ大きなトラウマを抱える羽目になったか。

死ぬなら誰にも迷惑かけずに死んで欲しい、などなど。


一方で、彼を擁護するコメントも目にしました。

死者を鞭打つような暴言は慎むべきだ。

自死した彼を責めるのではなく、彼を追い込んだ社会を責めるべきだ、などなど。


どちらの言い分もわかりますが、正直、私はどちらにも賛同できなかった。

なんだか論点がズレているように感じたからです。

確かに電車に飛び込むのは多大な迷惑をかけるけど、じゃあ、誰にも迷惑かけない自死なんて存在するのか?

縊死であろうと練炭であろうと、どのみち誰かに迷惑はかかる。

いや、それより何より、自死者の家族や友人知人は一様に大きな衝撃を受けるでしょう。

何故、救ってあげられなかったのか。

自分の対応に何か重大な落ち度があったのか。

残された者たちは己に問い続け、自責の念に押し潰されそうになります。

死ぬまで苦しみ続ける人もいるでしょう。


そう、「自死」という行為は、立派な「加害」なのです。

なるほど、確かに本人は、こんな社会の被害者かもしれない。

でも、被害者であると同時に、加害者でもある。

「自死」を選ぶ人は、それが加害行為であることを、肝に銘じておくべきだと思います。

その上で「自死」を選ぶのなら、それはもう仕方ない。

そんなに生きていることがつらいのなら、もう降りていいよ。

君は充分に頑張ったんだ、と、私は思うことにします。

本当に頑張ったのかどうかは本人にしかわからないけど、せめて周囲は、そう受け止めてあげたいと思う。

でもね、ひとつ言いたいのは、それが「加害行為」であることを、君は知っておくべきだよ、と。


「自死を選ぶほど追い詰めた社会が悪い」という意見にも、確かに一理あります。

が、社会というのは、本来、そんなものでしょう。

システムから零れ落ちる人が必ずいる。

すべての人を救う社会なんて存在し得ない、と、私は考えます。

おっしゃるとおり、社会は不完全で不平等だ。

でも、何でも社会のせいにしていれば、これほどラクな理屈はない。

私が生きづらいのは社会のせい。

私が落ちこぼれたのは、社会が私を閉め出したから。

そう思っていれば、我々は自分を憐れんでいられるからね。


「自己憐憫」は、使いようによっては優れた傷薬になります。

生きづらい自分、傷ついた自分……それをケアするのは自分しかいない。

だから、自分を甘やかしたり憐れんだりすることも必要ですよね。

あまりに自分を責め過ぎると人は窒息してしまうので、息抜きに「よしよし」してあげるのって大切だと思うんです。

ただ、そこに溺れてしまったら、いつの間にか「被害者意識」に取り込まれてしまう。

被害者である自分にはまっとうなケアを要求する権利がある、などと考えてしまうようになる。

あれこれと要求がましいことを言い出して、弱者権益に胡座をかき始めたら、もうその人はそこから一歩も動けません。

前に進めなくなるのですよ。

それって結果的に、あなたの人生を貧しくしてしまう。


「被害/加害」の構図を、一度、解体してみる。

すると浮かび上がるのは「お互い様」という視点です。


我々はみんな、被害者であると同時に加害者でもある。

誰かのせいでつらい想いをする一方で、無自覚に誰かを踏みつけている。

それが「人間」というものだ、と、私は考えています。

そして我々は、そのことを背負って生きていかなければならない。

ただただ被害者意識に溺れるのではなく、自分を責め続けて苦しむのではなく。

その「被害/加害」の構図を、一度、書き換えてみるのです。


自分にとっての加害者も、きっと誰かの被害者なのだろう。

虐待されて育った犬は、他の犬や人間に噛みつくようになると言う。

人間だって同じだ。

あなたに噛みついた人は、かわいそうな人なんだ。

自分が傷つけてしまった被害者も、誰かにとっての加害者なのかもしれない。

ならば、お互い様じゃないか、と。

自分ばかりが悪いわけではないし、自分だけが被害者ってわけでもない。

自分にできることは、せめてこの「お互い様」感覚を起点に、「被害/加害」の構図を見直してみること。

たとえば、加害者への怒りを同情心に置き換えてみる、とか。

自分を責める気持ちを少し和らげてあげる、とか。

そこから「赦し」や「感謝」が少しでも芽生えたら、私たちはもう少しラクになるんじゃないでしょうか?


自死した人を迷惑だと憤る人たちも、自死した人を社会の犠牲者として祀り上げる人たちも、当事者を抽象化して論じているに過ぎない。

当事者は、我々と同じ生身の人間です。

被害者であると同時に、加害者なのです。

彼がどのような経緯で自死に行き着いたのかはわからないけど、決して他人事ではないはずだ。

あなただって、来年の今頃は、真剣に自死を検討してるかもしれない。

そして、「自死」という行為によって自ら加害者になる道を選ぶかもしれない。

我々はみんな、「お互い様」なんですよ。


死にたい人をこの世に引き留める言葉を、私は持っていません。

苦しんでいる人に、「生き続けてもっと苦しめ」などと言えないからです。

救う言葉があれば、私だってその言葉をかけてあげたい。

だけど、私は無力です。

我々は、本当に無力な存在だ。

だからこそ、「お互い様」精神で許容し合うしかないのです。


世の中にはびっくりするほど身勝手な人や残酷な人がいるけど、その人たちだって「お互い様」グループの一員です。

私たちだって、何かの拍子に、身勝手で残酷な行動を取ってしまうかもしれない。

その可能性は充分にあるのです。

たぶん、この世にモンスターなんていない。

いるのは「救ってもらえなかった人々」だけだと思います。


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コメント

7時間前
匿名

死にたいと私に直接言う人に私が言えることは「あなたが死んだらたぶん私は泣く」。これ以外にはない。そしてこれだけは絶対に言っておくと決めている。これまで2回言った。

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