Addiction Report (アディクションレポート)

依存症の患者家族として生き延びるための方法が、社会では間違っていた 患者家族、作家、薬剤師~3つの立場から見た依存症~(20)

薬局実習では人間関係につまづき、再び酒を飲んで乗り切ろうとする。しかしその先に待っていたのは「前代未聞の落ちこぼれ」という烙印だった。アルコール依存症を患う父の子どもとして生き延びるための方法が、社会では間違っていると気付く。

依存症の患者家族として生き延びるための方法が、社会では間違っていた 患者家族、作家、薬剤師~3つの立場から見た依存症~(20)
このころから、飲んだ翌日の記憶がはっきりしなくなっていた。

公開日:2026/10/30 02:00

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患者家族、作家、薬剤師~3つの立場から見た依存症~

調剤室が牢獄のように感じた

病院実習を無事に終えて、調剤薬局での実習が始まった。

病院では多くの患者さんや薬剤師の先生方に支えられて実習を追えた。患者さんからの励ましや、指導薬剤師からのサポートもあり成長につながる経験だった。

一方で薬局実習は学生時代で一番といっていいほどの苦難だった。おそらく飲んでいたアルコールの量や頻度も、この時期は段違いだった。

まず私は、薬局の人間関係でつまずいた。スタッフは全員女性で、薬局にはいわゆる「女社会」独特の雰囲気があった。

そこで働く人たちは、相手に直接思っていることを言わない。誰かに不満があれば、本人のいないところで他のスタッフに文句を言う。

その薬局になじむには、空気を読んで動かなければならない。

私には人の顔色をうかがう癖があったが、うかがっても気持ちがわかるとは限らない。会って間もない人たちの気持ちを察して行動できるほど、私は器用ではなかった。

次第に私は、自分のいないところで他の薬剤師が私の悪口を言っている雰囲気を感じ取った。

直接何かを言われたわけではない。それでも昼食や訪問指導から調剤室へ戻ると、一瞬沈黙が流れる。

薬局の事務室で日報を書いていると、私に対する陰口を言っている声が聞こえたこともあった。私が事務室を出ると、話し声はすぐに止んだ。

ガラス張りの調剤室が透明な牢獄のように感じて、息苦しかった。

指導薬剤師も、厳しい先生だった。実習は「自分で調べた上で、わからないことだけ質問する」というスタイルで進んだ。

今まで間に合わせの勉強しかしてこなかった私には、まるでついていけなかった。何をどれだけ調べればいいのかわからない。指導薬剤師からの質問が、まるで尋問のように感じた。

最初はついていこうと努力したが、次第に私は時間が過ぎるのをただ待つようになった。

逆境を跳ね返してでも薬剤師を目指したいと思えるほど、私に熱量はなかった。

――たった11週間。実習に出てさえいれば、単位はもらえるはずだ。

私はいつしか実習を通して学ぼうという気持ちよりも、ただやり過ごすことばかりを考えるようになった。

大学に入ってから、私は逃げることばかり上手になっていた。

実習後にアルバイトを入れて、無理やり自分の居場所をつくった。実習とアルバイトの時間以外は、ほとんど酒を飲んでいた。

酒を飲まずに帰り、実習についていくための勉強をしていれば何か変わっていたかもしれない。酒をやめるべきなのに、やめられなかった。

酒は一時的にではあるが、実習のつらさを和らげてくれる。その日を耐え抜くために、私はアルコールの力を借りていた。

このころから、飲んだ翌日に記憶が曖昧になることも増えた。朝起きて、頭がぼんやりしている時間は気が楽だった。

気が付くと「前代未聞の落ちこぼれ」になっていた

実習には休まず出席していたが、逆に言えば出席していた「だけ」だった。

酒ばかり飲んでいるせいで、勉強が追いつかない。日報に何を書けばいいかわからない。毎日、時間通りに実習先へたどり着くだけでやっとだった。

振り返れば、実習の環境に悩んでいることを大学の先生に相談すべきだった。しかし、私は実習が終わるまで誰にも頼れなかった。

その背景には「私は誰にも助けてもらえない」という不信感がある。それは私が、アルコール依存症の父と暮らした日々から背負っていた呪いだった。

実家にいたころ、私は何度も父のことを母や親戚に相談してきた。酔った父に怯えずに暮らしたい、その一心でSOSを出し続けていた。

だが母も親戚も、誰も助けてくれなかった。

「お酒を飲まなければいい人だから」

「お父さんは病気だから、あなたが理解してあげなさい」

父の暴言だけでなく、助けてもらえなかった絶望が私にとっては心の傷になっていた。実家を出てからも、「もし断られたら」と考えると誰かに助けを求めるのが怖かった。

誰かに期待して裏切られるくらいなら、最初から一人で耐えた方がいい。

子ども時代を耐え抜くための生き方が、大人になってから裏目にでてしまった。

私にどんな事情があったにせよ、指導薬剤師にとって私の努力が足りていなかったのは事実だ。

薬局実習が終わってから、私は大学の先生に呼び出された。出席はしていたものの、著しく評価が低いために単位が出ないという。

「実習に落ちるなんて、前代未聞だ!」

「実習で悩んでいたなら、なぜ相談しなかったのか?」

「君は本当に薬剤師になりたいのか?」

先生からの質問に、私は「わかりません」と答えた。厳しい言葉をかけられたが、そのころの私には何も響かなかった。

こうして私は、薬学部で「前代未聞の落ちこぼれ」となった。

薬局実習は、これまでの生き方を否定する出来事だった

先生たちが各所にかけあってくれた結果、別の薬局で再実習を受ければ単位が認められることになった。最終的には無事に大学を卒業して、薬剤師免許を取れた。

実習に落ちようが、正式な手続きを経て薬剤師になったことに変わりはない。それでも、薬局実習で苦しんだ日々から、それでもなお不合格となった事実から、私は今でも立ち直れていないような気がする。

この文章を書いている今でも、胃のあたりがギュッと締め付けられる感覚がある。今でも実習に落ちる夢をたまに見るほどだ。

結果的には無事に卒業できたのに、なぜ私は今でも薬局実習の記憶を引きずっているのか。

一つは、薬局実習が「これまでの生き方を丸ごと否定された」と感じる出来事だったこと。

実家にいたころは酔った父の暴言も、母の絶え間ない過干渉も、私が黙って耐えればやり過ごせた。

表だって反抗すれば、相手を怒らせてしまう。誰かに相談しても「あなたがなんとかしなさい」と言われるだけだった。

一人で生きづらさをじっとやり過ごすのは、私にとって生き延びるための作戦だった。

しかし薬局実習では、一人で耐え続けるという行動が裏目に出た。大学の先生には誰かに頼らなかったことを責められた。

子ども時代にあの家庭を生き延びるための生き方と、大人になってから社会を生きるために最適な方法は違ったのだ。

依存症家族としての生き方と社会のギャップには、実習が終わってからもたびたび苦しめられることになる。

もう一つの理由は、今の自分が「前代未聞の落ちこぼれ」と言われたころのまま、何ら変わっていない気がするからだ。

実習に落ちてからは反省文も書き、再実習も受けた。再実習では薬剤師や事務の方々がみな優しく、指導薬剤師の先生も懇切丁寧に調剤の現場について教えてくれた。

環境が変わっただけで、私自身は何も変わっていない。

結局のところ私は、大学の先生から投げかけられた「君は本当に薬剤師になりたいのか?」という問いに満足な答えを出せないまま生きていた。

ただ大学を辞めて、他の道へ進む勇気がなかっただけなのだ。

ライターという道を見つけた今でさえ、私は「前代未聞の落ちこぼれ」という烙印から抜け出せてはいない。

立ち直れてはいないが、最近はむしろ落ちこぼれとして生きていこうと考え直すようになった。

『口の立つやつが勝つってことでいいのか』(頭木弘樹著/青土社)には、次のような一節がある。

「その水にしっくりなじめる魚は、その水のことを考えなくなる。その水になじめない魚だけが、その水について考え続けるのだ」

薬剤師という水になじめない私には、むしろ薬剤師という仕事について考え続ける才能があるのかもしれない。

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