Addiction Report (アディクションレポート)

塾講師のアルバイトに自分の価値を求めて 患者家族、作家、薬剤師~3つの立場から見た依存症~(11)

大学生になり、私は友達づくりやサークル活動に挑戦する。しかし勉強ばかりしていて人付き合いが苦手な私は、人と打ち解けられなかった。大学に居場所をつくれない私は、塾講師のアルバイトに活路を見出す。

塾講師のアルバイトに自分の価値を求めて 患者家族、作家、薬剤師~3つの立場から見た依存症~(11)
大学生になってからも、塾の授業準備をするために受験勉強ばかりしていた。

公開日:2026/05/15 02:00

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患者家族、作家、薬剤師~3つの立場から見た依存症~

大学になじめず、孤独に苦しむ

大学では勉強から離れ、新しいことに挑戦したかった。薬学部の同期に積極的に話しかけて友達をつくり、楽しそうなサークルをいくつも見学した。

同期の多くは私立の中高一貫校出身だった。小学生や中学校のうちからコツコツ勉強を続け、勉強と部活や友達付き合いを両立しながら合格していた。サークルにも溶け込み、教室でも早々に友達グループを作っている。私には同期がとても眩しく見えた。

「私は今まで、勉強だけでやっとだったのに……」

私は中学生を不登校として過ごし、高校では勉強ばかりしてきた。友達をつくりたくても、共通の話題がない。何を話せばいいのかわからず、相手との距離を縮められなかった。

ひたすら勉強だけを続けてきたおかげで大学に入れたが、入学後はそれが裏目に出た。コミュニケーション能力も、楽器もスポーツも、私には勉強以外に自信を持てることが何もない。

諦めずにいろいろな人へ話しかけていると、やっと話が合うと感じる人を見つけた。彼女もまた、かつて医学部を目指していた。

「大学に入ったけど、なんか違う気がする」

彼女の呟きに、私は心から共感した。

やっと友達ができるかもしれない――。そう思ったが、彼女と一緒にいられたのはたった数日だった。

入学した年のゴールデンウィーク明けには、キャンパスで彼女を見かけなくなっていた。メールで近況を尋ねると、医学部を再受験するために大学を辞めていた。

メールには「やっぱり、もう一度挑戦したくて」と書いてあった。

彼女もまた、大学に自分の居場所を見つけられなかったのかもしれない。「がんばって」と返信して、彼女とはそれきり連絡を取らなくなった。

塾講師のアルバイトに、自分の価値を見つけた

大学の同期やサークルに居場所を求めてみたが、うまくいかない。それならとアルバイトを始めた。

最初に始めたのは、日雇いの軽作業スタッフだった。お菓子の箱に、ひたすらシールを貼っていく仕事をした。時給も安く交通費も出なかったが、自分の力でお金を稼げたことが嬉しかった。

自分の努力が、収入という数字として返ってくる。勉強して成績が上がったときに似た高揚感を覚えた。

ただし、軽作業は丸一日かかるし、同じ姿勢で単純作業を続けるので体力的に続けられない。学校の合間に続けられるアルバイトを探そうと、求人サイトを眺めた。

塾講師の求人を見ると、軽作業よりも時給が高い。大手チェーンの塾が講師の募集をかけていたので、連絡を取った。入学式で着た真新しいスーツに袖を通して面接とテストを受けると、すぐに採用が決まった。

「国立大医学部志望だったなら、理系科目は大丈夫だね」

塾長はそう言って、面接シートの「指導可能な科目」欄に丸をつけていく。私は苦手な数学を避けたかったのだが、塾長は「学校の補修レベルしかやらないから」と数学にも丸をつけてしまった。

塾長は親しみやすい人だったが、強引なところもあった。最初は「大学と両立できる」と言っていたのに、実際はこちらの都合に構わず振替授業や新規生徒の授業を入れてくる。塾長の頼みを断れず、塾講師として働く時間はどんどん延びていく。

時給に釣られて始めたものの、授業の予習や準備の時間を含めると、塾講師は決して割のいいアルバイトではなかった。

それでも私は、塾講師のアルバイトにのめり込むようになった。

アルバイト先は個別指導塾で、勉強が苦手な子が多く通っていた。中には学校を休みがちな子や、一から復習が必要な子もいた。

「何がわかんないか、わかんない」

「あの学校で吹奏楽部に入りたいけど、勉強が苦手だから無理かな」

生徒は学校にいる時間のほとんどを、授業を受けて過ごす。学校で授業がわからず、勉強についていけないのは苦しい。

私は不登校時代に、定期テストで学年順位が120人中109位だったことを思い出した。それから成績は上がったものの、当時のショックは今でも覚えている。

勉強が最初から得意ではなかったからこそ、私には生徒の気持ちがわかるような気がした。気付けば私は、自分がかつて欲しかった言葉を生徒にかけていた。

「一つひとつ復習すればできるようになる。途中までは合ってるよ」

「確かに今はまだ合格レベルに届いていないけど、合格できるかどうかはこれからの努力次第だよ。一緒にがんばろう」

「あなたの味方だよ」と伝わるように、私は生徒へ声をかけた。授業を続けるうちに、少しずつ生徒の表情が明るくなった。

勉強を教えるのは楽しかった。生徒の成績が上がると、自分のことのように喜んだ。生徒を通して、過去の自分を救えるような気がした。

――医学部に落ちて、大学になじめない私にも、塾講師としては価値がある!

大学に入ってから、最も心を動かされた瞬間だった。

親が選んだ人生を歩む中で、塾講師は私が初めて自分の意思で選んだ道だった。

お金も稼げるし、生徒も塾長も私を必要としてくれる。いっそ大学を辞めて、塾講師として生きていきたいとさえ思った。

誰かを救うことに依存していた

誰かのために働き、人を救おうとする行為は一見とても美しいかもしれない。しかし、私の塾講師に対するのめり込みようは、健全とは言えなかった。

生徒の成績は上がったが、自分の成績は散々だった。部屋の床は教科書や衣服で散らかった。自炊もやめてしまったので、最初に買いそろえた調味料はほとんど減らないまま賞味期限を迎えた。

自分の生活や学業を考えるなら、塾のシフトを減らすべきだ。同期にもアルバイトをしている人は多くいたが、試験期間はシフトを減らして学業と両立させていた。頭では理解していても、塾長や生徒から頼られると断れなかった。

塾講師の仕事は好きだったが、それ以上に当時の私には「人の役に立ちたい」という渇望があった。私は生徒のためでなく、自分の価値を実感したいがために働いていた。

生徒の成績が上がった。塾長に振替授業を頼まれた。口座の残高が増えた。「だから」私には価値がある。

満たされるのは一瞬だ。もっと生徒の成績を上げたい。もっとアルバイトの時間を増やして稼ぎたい……。その果てにあるのは、オーバーワークによる燃え尽きだった。

なぜ、これほど塾講師という仕事に入れ込んでしまったのか。

根底にあるのは、「自分には価値がない」という思い込みだった。

――医師になれない私は、このまま生きていても誰にも認めてもらえない。せめて人の役に立てれば、誰かが私を肯定してくれる。

一人暮らしをして父から離れても、大学生の私は受験生のときと同じような価値観の中にいた。

物理的に距離を置いても、私は父の価値観を受け継いでいた。すがりつく先が医学部受験から、アルバイトに変わっただけだった。

そして大学にもなじめず、塾のアルバイトに燃え尽きてしまった末に、私はアルコールを手にしてしまう。父と同じように……。

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