Addiction Report (アディクションレポート)

「依存症は病気」なのに、なぜ責めてしまうのか──専門医が語る"やめさせない"治療

依存症は「脳の病気」だと言われている。事実、薬物依存症のガイドラインにも、依存症は「脳の故障により欲求のコントロールができなくなる病気」だと説明されている。※1

しかしその一方で、いまだ依存症には根性論・精神論が付きまとう。

「依存症は病気」なのに、なぜ責めてしまうのか──専門医が語る"やめさせない"治療
※画像はイメージです。

公開日:2026/06/30 04:12

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そこで本稿では、依存症を「意思」や「性格」の問題ではなく、病気として捉え支援してきた埼玉県立精神医療センターの精神科医・成瀬暢也さんに、依存症の実態と治療のあり方を伺う。

(取材・文:遠山怜)


「意思の力で止められない」ってどういうこと?

ーー成瀬先生は、外来診療のほか、「依存症は病気である」ことを普及・啓発する活動をされています。改めて、依存症とはどんな疾患なのでしょう。

成瀬暢也さん:薬物依存症専門医。埼玉県立精神医療センター病院長補佐。埼玉医科大学客員教授、日本アルコール関連問題学会理事を務める。著書に『ハームリダクションアプローチ』『厄介で関わりたくないアディクション患者とどうかかわるか』(中外医学社)など

成瀬さん:私はよく、依存症を「真夏のクーラー」に例えたりします。


昔は、暑い時期に風鈴の音を聞いて涼を取っていました。でも、現代人の我々は、クーラーの快適さを知っているわけで、ちょっとでも暑いと思ったら、すぐにリモコンに手を伸ばす。

依存症は、まさにそれと同じ状態だと思います。一度、すぐに涼しくなれる快適さを知ってしまうと、とうてい風鈴の音では涼しいとも思えないし、耐えられない。

ーーよく依存の渇望は、「意思の力では止められない」と言われます。私たちの脳内でいったい、何が起きているんでしょう。

成瀬さん:ちょっと専門的な話になりますが、脳には「報酬系」と呼ばれる神経の仕組みがあります。この「報酬系」は、「これは自分にとって良いことだ」と感じたときに働き、私たちに喜びや快感を与えます。

たとえば、「仕事が終わったら甘いものを食べよう」と思うと、少し頑張れたりしますよね。あるいは、友達と話して楽しかった、運動して気持ちよかった、仕事を終わらせてスッキリした。こうした経験をすると、脳は「これは自分にとって大切だ」と学習し、「またやった方がいい」と思うようになる。私たちは無意識のうちに、こうした「報酬系」の仕組みに支えられて、学校へ行ったり、仕事をしたり、人と関わったりしています。

一方で、アルコールや薬物、あるいはゲームなどは、この報酬系を非常に強く刺激します。すると、「自分にとって大切だ」「またやった方がいい」という欲求が、特定の物質や行動に偏ってしまう。クーラーの快適さを一度知ってしまうと、風鈴ではもう満足できなくなるのと同じです。脳が「あれこそが一番価値がある」と学習してしまい、強く求めるようになるんです。

ーー一般的に依存症者は「享楽的」だと思われている節があります。しかし、先生の話を聞く限り、「快楽主義」というより、生得的な学習機能が乗っ取られて、強制的に特定の何かを求めてしまうといった印象を受けます。

成瀬さん:「意思の力では止められない」というのは、まさにそういうことです。

しかも、報酬系が強烈な刺激に晒され続けると、ある問題が生じます。どんなに強烈な刺激でも、次第に慣れてしまうんです。最初は少量で十分だったのに、だんだん同じ量では満足できなくなる。「いい気分になれる」基準が上がってしまうので、以前と同じ感覚を得るためには、より多くのお酒や薬物が必要になってくる。

さらに、繰り返し強烈な刺激を受けることで、関心や行動の優先順位にも変化が生じてきます。今まで楽しめていた友人との会話や仕事の達成感では満たされなくなり、脳が「一番価値がある」と判断するものが、お酒や薬物へと偏っていく。その結果、家族や友人、仕事よりも、お酒や薬物が優先されるようになってしまうのです。

依存症の実態は、「快楽の追求」というより、「のめり込み」と言った方が正しいと思います。

再使用すれば、仕事を失うし体にも負担をかけ、家族も絶望するとわかっている。なのに、やめられない。患者さんは投資詐欺にあったようなものです。「これさえすれば儲かる」と言われて、それを信じてお金も時間も何もかも費やしてきたのに、徐々にリターンが返ってこなくなる。でも、その頃には他の選択肢にメリットを感じられなくなっているので、たとえ苦しくてもそれを求め続けるしかない。

「病気」なのに病気として扱われない

ーーまさに、薬物教室などでも「依存症は脳の病気」だと説明されています。しかし、内心、「それってただの言い訳では?」と思う人も多い気がします。

成瀬さん:それがまさに依存症の一番難しいところです。「依存症は欲求がコントロールできない病気だ」という前提が、建前として理解されている。当事者家族や周囲は、つい「我慢が足りない」とか「だらしない」とか責めてしまう。

これは医療従事者も同様です。依存症の患者さんに、「今度飲んだらもう診ないですよ」とつき離したり、「もう飲まないと約束して」と決断を迫る。それは「治療」ではないですよね。そんなことは誰でも言えるし、患者さんは耳にタコができるくらい、周囲に散々言われてきたわけですから。

今時、うつ病の人に、「意思が弱い」「やる気を出せ」なんて言わないですよね。なぜなら、うつ病とは意欲がわかずに落ち込む病気だからです。なのに、こと依存症になると、その前提を忘れて患者さんを叱責したり説教してやめさせようとしてしまう。

「依存症は病気だ」と言いながら、病気として扱っていない。日本の依存症治療が十分に発展してこなかったのは、医療従事者含め、そもそもの病識が甘いことが大きな要因ではないかと思います。

ーー「依存症は病気である」ことが、実感を持って理解されていない。

成瀬さん:依存症者の家族会の目標は、「依存症に関する誤解と偏見を払拭してほしい」に集約されます。世の中が想像する“依存症”と、実際の患者さんの姿には大きな解離がある。うちの病院でアルコール・薬物依存症の患者さんにアンケートを取ったところ、半数以上に自殺未遂歴があった。

(平成28年4月〜5月間に埼玉県立精神医療センター通院中の依存症患者103名に実施したアンケート結果より。スライドはご本人提供)

一見、「自堕落に生きている」ようにも見える患者さんは、自殺リスクが非常に高く、酒や薬物の力を借りてなんとか生きている状態だった。そして、多くの患者さんに共通して見られる特徴があります。

まず、「自己評価が低くて自信を持てない」。次に、「人を信じられない」し、「本音を言えない」。だから「人から見捨てられる不安が強い」し、「孤独でさみしい」。そして「自分を大切にできない」。

スライドはご本人提供。

先にお話しした通り、依存症は脳のコントロール障害を伴う病気です。では、なぜそうなるまで酒や薬物を求めたのかというと、その背景には、「人間不信」や「自己否定」が深く関わっていることが少なくない。人との関係に安らぎを感じるどころか、深く傷つけられた経験がある。そうした背景から、人に頼ることなく、何かを成し遂げようと一人で頑張ってきた患者さんが多い印象があります。

しかし、どこかでその頑張りに限界が来て、お酒や薬物の力を借りるようになる。依存対象は、孤立している患者さんにとって、文字通り最後の命綱なんです。なのに、僕ら治療者は、そんな極限状態にいる患者さんを全然気遣ってこなかった。生きているのがやっとの人を責めて、最後の命綱まで奪うのは、「治療的」どころか、追い詰めていただけなんじゃないでしょうか。

奪わない治療

ーーしかし、依存症になると、脳の報酬系が変わってしまうんですよね。そうした状態の患者さんに、治療では何をするのでしょう。

成瀬さん:依存症治療のコツは、何といっても「やめさせようとしないこと」にあります。僕の外来では、患者さんに「酒・薬物をやめて」とは一切言いません。

さっき言った通り、依存症になると、脳は特定の依存対象にだけ反応し、その刺激を求めようとします。そして、依存対象は人間不信と自己否定を抱えた患者さんの心の拠り所でもある。第三者が無理にやめさせようとしたら、患者さんも必死に抵抗します。なので、僕は「一般的には良くないことかもしれないけど、今のあなたにはそれが必要なんだよね」というスタンスでいます。


もちろん、逮捕リスクや飲酒運転の危険性など、心配や懸念は伝えます。その上で、「今は薬が必要だと思うけど、他の方法も一緒に考えてみませんか?」「お酒をやめられないとしても、ダメージを極力減らせる飲み方はないですか?」と一緒に考えることを提案します。

外来は、アルコールや薬物をやめさせる場所ではありません。「夜眠れない」「家にいるのがしんどい」といった悩みに耳を傾け、どう対処するかを患者さんと一緒に考え、支えていく。僕の役割は、患者さんが安心して本音を話せる相手であり、味方でいることにある。

ーーなるほど。患者さんの拠り所を奪わない。その上で、治療につなげるための取り組みを教えてください。

成瀬さん:治療では、偏ってしまった報酬系の学習を組み替えることに加え、人との信頼関係を取り戻していくことを主眼に置いています。とくに、入院時のプログラムには報酬系に働きかける「随伴性マネジメント」を取り入れています。

(脚注)随伴性マネジメント:「特定の行動」に伴う「報酬」を与え、望ましい行動の促進や問題行動の改善を行う心理学上の手法。

依存症プログラム受講者には修了証を渡したり、自助グループ1回行くごとにシールをあげたりと、小さなご褒美を用意する。スタッフも患者さんの良い変化には、気づいて褒める。

報酬系は、一度学習が偏っても、使用回数や頻度が減ると、当初あった切迫した欲求は徐々になくなっていきます。依存症になる前の状態へ戻るとは限りませんが、他のものに対する「喜び」「快感」といった感覚もだんだん戻ってくる。

先にお話しした通り、依存症の背景には、人間不信や自己否定があり、それが物質使用という「孤独な自己治療」につながっている患者さんも少なくありません。

ですから、治療者や周囲は、本人の人間不信や自己否定が少しずつ和らいでいくように関わっていく必要があります。実際、治療者や周囲が偏見を持たずに尊重して接するうちに、患者さんの反応も変わってくるんですよ。だんだん表情も良くなるし心を開いてくれる。

人との関わりに安心感を得られるようになると、いずれお酒や薬がいらなくなるんです。その時が来たら、「やめろ」と言わなくても、患者さんは自然とお酒や薬物を手放します。

ーー依存症治療では人との関わりが大事だと言われますね。

成瀬さん:ただ、先ほど言った通り、依存症患者さんの多くは、人との関係に何らかの困難を抱えていることが多い。なので、人と関係を築くのには時間がかかります。依存症=自助グループと考える人は多いけど、多くの依存症者は、なかなかそうした集団治療の場にすぐには馴染めないし、下手したらそこでも傷つきかねない。

なので、まずは医師やカウンセラーなどの特定の治療者と、まずはじっくり関係を築くこと。一本の線がしっかりと本人に繋がっていれば、それ以上悪くなることはないと思います。自助グループなり集団療法なりに繋げるのは、その後で十分です。

ーーなるほど。そうした治療を実現させるためにも、なおさら周囲の理解が必要になりますね。

成瀬さん:はい。ご家族に「依存症は病気だ」と伝え、本人の思いを翻訳して伝えてあげることも、治療者の重要な役割だと思います。依存症者を抱えた家族は、周囲に白い目で見られたり、将来の学業・就労に急りを感じ、経済的負担も相まって疲弊していることが多い。「やめさせなきゃ」と焦る裏側には、それなりの事情がある。

ですから、外来では、本人とは別にご家族も診ることがあります。ご家族の心配や不安を受け止めつつ、病気を正しく理解できるようにサポートする。

こんな話をすると、「依存症の治療なんて大変ですね」と言われますけど、全然そうじゃないです。僕は依存症治療が楽しくてやっているんです。少しでも空いた時間があれば、全部診察時間にしてしまう。患者さんと人として向き合うのが楽しいんですよ。

ふつう、病気の治療はマイナスの状態を、せいぜい、ゼロの状態に持っていくことしかできない。でも依存症は、マイナスの状態から人間的な成長を遂げて、プラスの変化が起きることもある。

治療前は「自分はもうダメだ」と思い詰めていた患者さんが、いつの間にか笑うようになって、「今度、海外旅行に行こうと思ってる」と楽しそうに雑談してくれるようになる。

依存症の治療は、本当はもっと楽しくて手応えを感じられる領域だと思います。そのためにも、「依存症は病気だ」と理解した上で、患者さんが安心して人を信頼できるよう支えることが大切だと思います。

※1 国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所 薬物依存研究部「薬物依存症者をもつ家族を対象とした心理教育プログラム」

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