Addiction Report (アディクションレポート)

ベッド横にカミソリ「助けてとは言えなかった」大学生活と介護のはざまで

永井健太さん(仮名・33歳)は、現在はIT企業で働く会社員。人生の目標は「人の役に立つこと」。

大学時代、祖父の介護と学業の両立をひとりで背負い、逃げ場のない中でリストカットをしていた。

「自傷は肯定できない。でも、否定もできない」

ベッド横にカミソリ「助けてとは言えなかった」大学生活と介護のはざまで
※写真は本人提供。

公開日:2026/03/30 02:00

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インタビューに応じたのは、永井健太さん(仮名・33歳)。現在はIT企業で働き、少し前に結婚。忙しくも安定した日々を送っている。

4年ほど前、腕のリストカット痕の手術を受けた。元あった傷跡は、やけどの痕のようになった。

「前は、遠目に見て『もしかして』と気づかれる程度には、痕が残っていた。だから、街中で知り合いに会うかもと思って、長袖のシャツを持ち歩くようにしていました」

「うっかり傷跡を見られて変な噂を立てられないか、いつも人目を気にしてました。だから、リストカットをしてもOKとは思わない。でも、ダメだとも言えない。自分はそれで生きてこれたから」

いったい、彼に何があったのか。

(取材・文:遠山怜)


地方出身の優等生が直面した“経験値の差”

永井さんの実家は、北九州の片田舎にある。地元で飲食店を営む両親の下、男三兄弟の次男として生まれた。父親は硬派な職人タイプで、子どもにも「しっかりしろ」と厳しく当たった。そうした環境もあってか、永井さんは地元でも評判の良い生徒だった。

「学校の先生からは、勉強もできるし、真面目な良い子だねって。でも、内心はそういう自分にコンプレックスがあった。周りの友人みたいに、『これがやりたい』と自分を押し通すこともできず、誰かの言うことに従ってるだけ」

将来の夢は、「人の役に立つこと」。海外支援やNPO団体の活動に興味を持ち、世界で活躍することを目指して、大学では英語科を選んだ。

東京に来て、複雑な交通網に慣れず、どこに行くにも時間がかかった。期待に胸を膨らませていた大学生活では、周囲と自分との差に戸惑った。

同級生には、幼い頃から海外留学を経験し、機会に恵まれていた人が多かった。地方で育った自分とは、そもそもスタートラインから違っていた。

「自分はこれから、海外に留学して、自分のやりたいことをやろうと思ってた。でも、みんなはそんなこと、とっくの昔にやっていた。中学・高校と海外で過ごして何ヶ国語もペラペラとか、ディズニーのキャストにバイトで採用されたとか。自分って、レベルが低いんだなって」

18歳で直面した学業と介護の両立

サークルではバンド活動に勤しんだ。練習後、夜はこれからと街中に繰り出す仲間を尻目に、永井さんはひとり自宅に直行した。急いで近所のスーパーで買い物をし、家に入り、同居している祖父の無事を確かめる。

「大学進学を機に、神奈川にいるおじいちゃんの家で暮らしていたんです。おじいちゃんは80歳を超えてて、足も悪かった。両親や親戚からは、東京の大学に行かせてやってるんだから、お前が助けてやれって。昔からおじいちゃんが好きだったし、自分がそばにいれば安心かなって」

帰り時間を気にせず過ごせる友人が、羨ましかった。しかし、介護が必要な祖父を長時間、ひとりで家に置いておけない。

支援は、週に一度、1時間ほどの訪問介護のみだった。両親や親戚は家業があるため地元を離れられず、日常の大半は、自分ひとりで見ていた。

「当時は今以上の支援は望めないと思ってたし、そもそも、支援を調整するという発想自体がなかった。自分がしっかりして、おじいちゃんを守らなくちゃと思ってた」

実際、目を離した隙に、祖父が大怪我を負ったこともある。

「ある朝、寝ている最中にいきなり肩を揺さぶられて、ハッと目覚めたら家に救急隊員がいて、叩き起こされた。救急隊員は、『おじいさんがゴミ出しをする時に、転んで倒れて、今病院に搬送されている』って。そこから、ものすごい恐怖に襲われるようになった。いつ何時も、おじいちゃんから目を離しちゃいけないんだって」

一日が、誰かのために終わっていく

祖父の身の安全を図るため、スケジュールの立て方を見直した。

自分の机とベッドをリビングに移動し、真向かいの部屋にいる祖父の様子を、すぐに見られるようにした。

家事や掃除は、祖父を視界に入れつつ最短で済ませる。講義の合間には、自宅に電話をし安全を確かめる。

課題の提出とバイトの繁忙期が重なったときは、ろくに睡眠時間も取れない。

ある時、両親に電話で「祖父の介護がしんどい」と打ち明けたことがある。しかし、反応は今ひとつだった。

「どれだけ説明しても、深刻さがいまいち伝わっていないというか。『面倒見るのは大変だろうけど、買い物したり、病院に付き添ったりする以外は自由でしょ』と。たぶん、介護の経験がない人には、このしんどさがわからないのかもしれない。日頃から面倒を見ていても、ほんの一瞬、目を離しただけで事故は起きる。でも、そんなこと言ったところで、『お前がちゃんとすればいいだけ』で話が終わってしまう」

朝から午後まで大学で講義を受け、サークルに顔を出し、夕方、自宅に直行する日々。休日は、病院の付き添いとバイトでつぶれた。

「自分っていったい、何なんだろうなって。一日は全部、誰かのために何かすることに消えていく。かといって、家を出たところで、おじいちゃんの面倒は誰が見るのか?あんなに良くしてくれたおじいちゃんを、見捨てるの?なんでもっと頑張れないのか、しっかりしろって自分に言い聞かせてた」

ベッド脇にはタバコとカミソリ

しかし、自分の意に反して、次第に体が重くなり、何をするにも時間がかかるようになった。

ある日、バイトに行くため、ベッドから起きあがろうとしたが、体はピクリとも動かない。

まるで金縛りにあったかのように、足やお腹にまったく力が入らない。

居酒屋バイトの出勤時間は夜6時。ベッド脇の時計の針は、5時を指していた。

永井さんは、何とか手を伸ばし、枕の横にあったタバコとライターを手に取った。タバコに火を付け、先端を左手の甲に押し付ける。あまりの痛みに、布団から反射的に飛び起きた。

“動けた”。

「それからは、体が動かなくなったら、火のついたタバコを押し当てて、体が動いた隙に起き上がるようになりました。でも、だんだん熱さに慣れてしまったので、今度はカミソリで切るように。体に痛みを与えることで、頭の中でループし続ける考えに、ピリオドを打つ感じ」

ベッドの横には、必ず携帯とカミソリを置いておいた。

「腕に傷が残るな、とは思いました。でも、どうせ自分は半年後には生きてないだろうから、別にいいやと。もし、死んでしまったら、その時はその時。今日、やるべきことをやる。それ以上先のことは考えられない」

「自分の中のどうしようもないものを、誰かにぶつけるのは避けたかった。自分が衝動に任せて誰かを殴ったら、殴られた人はまた別の誰かを殴るだろう。だったら自分が痛い思いをして、抱え込んだほうがマシだって」

わかってほしくても、言えなかった

両親とは、電話で話すことはあっても、今の状況を知らせることはなかった。

「父親は『ごちゃごちゃ言うより、それくらい自分で何とかしろ』というタイプ。兄と弟含めて、家ではほとんど会話がなかった」

父親も母親も、愛情を込めて自分を育ててくれたと思う。ただ、理解の幅が決まっていた。

「たぶん、人は自分が経験した最高の出来事と、最低の出来事の間でしか、物事を理解できないんじゃないかと。自分が経験していないことは、理解できない。話したところで、『甘えたこと言って』と言われるだけ。兄にも、帰省時に傷がバレたとき、『てめえ、ふざけんなよ!』と殴られた」

片田舎で家業を守ってきた両親と、都会でひとり暮らす自分。両者のあいだには、簡単には埋まらない距離があった。

「周りにいた友人にチラッと話しても、別に何も。みんな自分のことに忙しいから」

大学3年になり就職活動に励んでいた時、同じ学部の同期に、意図せず傷跡を見られたことがある。相手はすかさず、「お前って、マジ最低だな」と罵った。

「たぶん、向こうも就活していたから、それがキツくてやってると思われた。でも、何も言い返さなかった。ああ、人って自分が知っている範囲の情報で、ストーリーを勝手に組み立てて他人をジャッジするんだなって」

留学を止めた、腕の傷

転機は突然訪れた。大学では、3年次の秋から語学留学をすることになっていた。説明会で、先生からプログラムの話をされても、海外にいる自分がまるで想像がつかなかった。

「先生は、『メンタルは常に浮き沈みするもの。海外では余計に不安定になりやすい』と言っていて。それを聞いて、もう無理だなと。講義後、先生に『留学を延期したい』と伝えたんです」


突然の申し出に目を丸くする先生を前に、腕をまくってみせた。それを見た瞬間、留学は延期となった。その代わりに、大学内の病院に行くことを勧められた。

海外に旅立つ同級生を尻目に、薬を処方され、カウンセリングに通う生活がはじまった。

「話しているうちに、自分の問題というより、いくつもの出来事が重なっていたのだと、理解できるようになった。それまでは、軟弱な自分を叩き直せば、バイトも勉強もおじいちゃんの介護も、頑張れるはずと思っていた。でも話しながら、どうしようもなかったんじゃないかと。運とかタイミングの問題に巻き込まれたんだって」

海外で知った日本にいた自分

しばらくリハビリを続けたが、大学からは留学禁止を言い渡された。それを聞いた永井さんは、思い切って就活をやめ、大学を半年間休学し、自力で留学することにした。

「その頃、いとこのお兄さんが会社を辞めて、弁護士の勉強をするために、一緒に住むようになったんです。ずっと家で勉強して、おじいちゃんのことも見ててくれることになって」

ビザなしで三ヶ月間、オーストラリアで過ごした。

「海外に行くと人生変わるって、こういうことなんだなって。日本の当たり前は、海外では当たり前じゃない。行きたくないと思えば行かないし、やりたいと思えばやる。今まで、周りを見て空気を読まなきゃと思ってたことが、バカバカしくなった。なんだ、それでいいじゃんって」

肯定はできないが、否定もしきれない

自分の回復に役立ったことは何か。いとこの同居など、偶然の積み重ねの影響も大きい。

当時の自分になにができたか。考えたところで、答えは出なかった。

「仮に、当時に戻れたとしても、状況は変わらないと思う。もっと両親や親戚が介護支援をなんとかしてくれたら、とは思うけど……。ましてや、18歳の自分に、行政の支援制度を調べて、お金を工面して、施設と話をつけられたとは思えない。それに、おじいちゃんに頭を下げて、『老人ホームに入ってほしい』なんて、言えなかったと思う」

傷跡を手術した今、自傷を全面的に肯定することはできない。

ただ、あのとき、自傷をしていなかったら、今の自分はいなかったかもしれない。

だからこそ、当事者には生きていてほしいと語る。

「自傷が良いとは言えない。でも、自傷がどうして必要かなんて、本人にしかわからない。生きてさえいれば、時間が解決してくれることもある。だから、死なないでいてくれたら」

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