Addiction Report (アディクションレポート)

親父に別れる【4】飢えにおびえ、貧しさを恥じていた

賭け事でためた借財のため、父親が包丁を振るい、けがをさせ、逮捕された。父と母のいない子供だけの家庭は、餓鬼道の牢獄になった。

親父に別れる【4】飢えにおびえ、貧しさを恥じていた
手作業で田起こしをする筆者

公開日:2026/02/17 02:02

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親父に別れる

親父が殺人未遂で逮捕され、わたしたち家族は、いよいよ食うものに困ってきた。

子供のころはいつでも腹をすかせていた。現在も、給食でしか腹を満たせない子供がいる。こども食堂の需要はどこでも切実なものがある。現在の飢えた子供は、豊かになった先進国の社会で、富の偏在が非人間的なほどに進んでいるという証拠だ。わたしの子供のころ、1960~70年代は、高度成長期が終わり、2度の石油ショックで資本主義社会が大きな曲がり角に立つ契機ではあった。それでも、「今日よりは明日、親よりは自分たち世代」のほうが相対的に豊かになることが信じられていた時代だった。貧しい家庭もあった。しかし、「食うに困る」という家庭は、それほどあるとは思えない。「もはや戦後ではない」のだ。

しかし、わたしたちはじっさい、食うに困っていた。

父の収監後、母親はフルタイムで働き始めた。夕から夜中の仕事であった。稼ぎがよかった料亭や割烹の、仲居として働いていた。夜中に帰ってきて、朝、わたしたちが学校へ行くときにはまだ寝ていた。わたしたち兄弟の夕飯は、大きな釜で炊いた冷や飯だった。炊飯ジャーを持っていなかった。やはり冷えたおかずが一品、あったり、なかったり。

その冷や飯も、往々にして足りなかった。男3人兄弟とも体が大きく、食べ盛りに入っていた。最後に一個残った握り飯を、わたしの1歳上の兄が、わたしの2歳下の弟から奪う。弟が顔をうつむける。浅ましい餓鬼道の日々だった。

失明してもおかしくなかった

夕飯の菜の貧しさが直接の原因で、兄に、顔面をまともに蹴られたことがある。わたしと弟は座っていた。高校から帰宅した兄がおかずの貧しさに激高し、大声で弟を怒鳴りつけた。常々、その横暴を腹にすえかねていたわたしは、持っていたカップを壁に投げつけた。兄が、サッカーのボレーキックさながらに、座っているわたしの顔面を蹴下ろした。いいキックだった。1回。激しく蹴られて鼻血が出た。

「それで終わりかよ」。わたしは憎まれ口をきいた。2回。いいキックをまともに顔面に受けた。目の前が真っしろになった。わたしはなにも言わず、外に出た。しばらく家に帰らなかった。公園で寝泊まりしていた。右目の周辺が大きく膨れたのを、自販機で買った缶ジュースで冷やした。失明してもおかしくなかった。

わたしは知っている。世の中でもっとも醜く、最も悲しいのは、「食いもの」をめぐって人間が争う姿だ。いま田舎に引っ込んで、自分と家族の食う分だけでも米を自分で作ろうと、百姓をしているのは、遠因にそんなことがあるのかもしれない。

書いていて思い出したのだが、この兄は運動神経がよく、腕っ節も強かった。偏差値の低い高校を落ちまくって、やっと入れたのは、体育が盛んで、喧嘩が強いのでも有名な高校だった。そこは柔道部も強豪なのだが、その高校の卒業アルバムを見ていて笑ってしまった。クラス対抗の柔道大会が名物であるらしく、兄が写真に写っていた。クラス選抜の選手5人は、当然、柔道部なのだろう、みな黒帯だ。兄だけが白帯なのに、選抜選手にまじって座っている。格闘技の経験もないのに、運動神経と腕力だけで、選抜選手になったということだ。

こんなこともあった。わたしが新聞社に入り込み、2年ほどたったころだった。蒲田の警察署から夜中、わたしに電話があった。「お兄さんが街のやくざと喧嘩をした。大けがをしている」というのである。川崎に住んでいたわたしは飛び起きて、タクシーをすっ飛ばした。やくざ? 上等だよ。容赦しない。治療費や慰謝料を、いやというほどもぎとってやる。

警察署についたら、廊下に兄が座っていた。わたしをみて、照れくさそうに笑っている。ピンピンしている。警察官に呼ばれて事情を聞くと、「大けがをした」のは、やくざのほうなのだった。いくら相手がやくざでも、治療費だけは出してやってほしい。それで、喧嘩の件は不問にする。そう説明された。

開いた口が塞がらないとはこのことだ。あきれかえったが、なにがしかの紙幣を払い、兄の身柄をもらい受けて、一緒に帰った。こんなのにまともに顔面を2回も蹴られたのだから、中学生だったわたしも災難である。

右翼が、いちばん嫌いなんだ

わたしとそりの合わなかった親父だが、どういうわけか、この兄には、一目も二目もおいていたように記憶する。怒られているのをみたことがない。ただ一度だけ、例外があった。兄が中学生、わたしが小6、弟が小4のことだった。兄が、またささいなことでかんしゃくを起こし、弟を殴った。弟は気を失って倒れ、動かなくなった。心配になった兄が、わたしに、父親を呼ぶようにいいつけた。前に書いたが、そのころ父は、近所にあった雀荘で賭け麻雀をしているのが常だった。

「弟が倒れている」と聞いて、さすがにこのときだけは父も麻雀を途中でやめ、家に帰ってきた。そのときの怒りようには迫力があった。

「男のくせに、小さい者を殴るな! おれなんか、上級生としか喧嘩しなかったぞ!」。でかい体で声を荒げた。

父は、まったく政治的なところがなかった。保守でもなければ革新でもない。選挙なんか、行ったことがないだろう。ただ、近所を右翼の街宣車が大音量の軍歌を流しながら走っていると、つばを吐くように言った。

「右翼が、おれはいちばん嫌いなんだ。アカのほうがまだましだ」

小学生だったわたしが、おもしろがって、なぜ、と聞いた。強いやつの味方、強いほうにへばりついてるやつらだから。そういう理屈だった。強いやつ、つまり「国家」だろう。

憎み合った父とわたしは、なにかまじめなトピックを、真剣に、腰を落ち着けて話し合ったことはない。ないのだが、妙なところだけが、無意識のうちに、似てしまっている。

残飯を食って生きていた

話がそれた。

父が収監されたのち、母親は割烹で働いた。夜中、客が残したつまみを持ち帰ってきた。朝の食卓にそれが載った。刺身が多かった。マグロなど赤身はまだしもがまんできたが、一晩経ったハマチの生臭さは、たまったものではなかった。母親は「お店で出したら、高いんだから。おいしいはず」と強弁していた。残飯を食って生きていたわけだ。

自分のカネで好きなものを食えるようになったいまも、寿司屋でハマチは頼まない。口中に生ぐささの広がる記憶が、いまもありあり蘇る。

文学好きは昔からで、太宰治や町田康を好んでよく読む。ほぼ全作品を読んでいる。彼らの文学的サービス精神には、いつも笑わせられる。2人とはまた別だが、本屋大賞をとったリリー・フランキーのベストセラー『東京タワー』も読んだ。しかし彼らに共通するいわば「貧乏自慢」には、いつも鼻白んでいた。

彼らの貧乏は、自らが望んでなった貧乏である。望んだというのが言い過ぎなら、自ら選んでそうなった貧窮生活だ。酒や、クスリや、女に溺れたり。好きでやってるパンクバンドの道を追究していたり。あるいは、単純に働かなかったり。そういうことができるのは、生まれた家が、ある程度豊かだったからだ。太宰の親は大地主のカネ貸し、生家は現在も斜陽館として展示されている。名士であった。

貧しさの体験を、音楽や文学で昇華させ、芸の糧にする。それは、比較的恵まれた家に生まれたがゆえに可能な無軌道、「カネ持ちの貧乏遊び」にしか思えなかった。

わたしは、生まれながら貧乏だった。いつも腹をすかせていた。だからなのだろう。卑屈になってしまうのだ。いつでも飢えにおびえている。貧しさを恥じている。

中学生になって、年をごまかしてアルバイトを始め、自分の手でカネを稼ぐことを覚えた。高校、大学と数多くのバイトに明け暮れた。社会に出て正社員となり、定期的にサラリーをもらうようになっても、この貧乏性は抜けなかった。ほんとうの貧乏人は、縮こまってしまうのだ。恐怖があるから。あのような境涯には、二度と落ちたくない。小銭をためてしまう。備えてしまう。

また逆に、他人に対して必要以上に太っ腹になる。「ええかっこしい」になってしまう。必要ない人にまで、宴席ではおごる。おごろうとする。これも逆に、貧乏根性のなせるわざだ。貧乏にみられることを、極度に恐れる。いつも腹をすかせていた。靴下は穴があいていた。その、自分のなかにある、「穴のあいた靴下」を発見されるのが、死ぬほど恥ずかしいのだ。

ねじけた、縮こまった、けちくさい、そしてその反動としての過剰なサービス精神、跳ねっ返りの鼻っ柱。それが、わたしの性格にも、わたしの書くものにも与えた、貧しさの刻印だった。親父の影だった。

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