トークイベント「アディクションの現在地 臨床と編集の現場から見えるもの」イベントレポート(後編)
トークイベント「アディクションの現在地 臨床と編集の現場から見えるもの」イベントレポートの後半。トラウマやカウンセリングなど、アディクション治療の最前線についてうかがうことができた。

公開日:2026/10/04 02:00
2026年9月16日、代官山 蔦屋書店にて『溺れながら生きる 依存とケアのあいだで』(文藝春秋)刊行記念トークイベントが開催された。
登壇者は本書の著者・信田さよ子氏、そしてシリーズ「ケアをひらく」担当編集であり『ケアと編集』(岩波新書)著者の白石 正明氏。
【前編はこちら】
トークイベント「アディクションの現在地 臨床と編集の現場から見えるもの」イベントレポート(前編)
白石氏はアディクションとトラウマの関係について、信田氏の考えを尋ねた。
アディクションとトラウマの関係
白石 正明氏(以下、白石):
生き延びるためのアディクション――つまり苦しいことがあって、生き延びるために薬とかを使って生きてきた、という考え方。
それは非常に素晴らしいと思うけれども、要するに苦しいということは、その前にトラウマがあったという話ですよね。
つまり初めに苦しいことがあって、そこからいろんな症状が起きてきた。よって、トラウマは原因と考えられます。
でも信田さんは元々、アディクションの不思議さ、つまり「分かってはいるけどやめられない」というある種の論理的な逆説に惹かれていたんですよね。
「アディクションの原因が実はトラウマだった」と言い切ってしまうと、因果関係が明確で、論理的・哲学的にはつまらないのではないですか?
信田 さよ子氏(以下、信田):
そこを衝いてきたか。確かにそうなんですよ。
でも私は、トラウマがあってアディクションが起こるとは思っていないの。トラウマっていうのは、先立って起こってしまったこと。
例えば夜中に悪夢を見て、思い出したくないことを思い出すとする。途端に不安定になって、今は2026年なのに、その人の中ではトラウマが起こった時間に戻ってしまう。
苦しいという感情に、先だって起こっているのがトラウマ。
「原因があって結果がある」という考え方は、時の流れが一方向ですよね。そうではなくて、まず苦しい気持ちを持つ今がある。そして先立つ原因となる過去があって、過去を発見する今がある。
白石:
つまり、自然科学的に石があったから転んだのではなくて、転んだ時に石を発見して、それがまた現在の状況の説明に使われる。ということは、原因が石ではなくてもいい可能性もある。
信田:
そうなんですよ。その過去の原因は変わる可能性がある。だからトラウマは時間の複層性とともに理解しないと、浅薄なものになってしまう。
だから私は、戦争トラウマについて「戦争が原因で復員兵にトラウマが生まれた」と言うのも抵抗がある。
白石:
一般的な記事を読んでいると、確かに現在から過去に発見した例を総称して「戦争がトラウマを引き起こした」のような見出しになっていますね。
信田:
そこには「何だろう、これ」と考える「今」がない。
実際、1945年に敗戦してから1950年代あたりに、原因不明の自殺が増えたんですよ。
文学者・梅崎春生が酔っ払って言った「もうすぐみんな、わけのわからない死に方をする。それはやっぱり戦争の影響なんだよ」という言葉を記録した文章を読んだことがある。
まずわけのわからない死に方に直面して、「なぜなんだろう」と考えたときに戦争に行きあたって、現在に戻ってくる。
だから、実はトラウマをどう捉えるかという考え方は多様なんですよ。私もいろいろなものを読んだけど、あまりピッタリ合うものはない。
グループの持つ不思議な効力
トークイベント当日は、依存症家族から信田氏への質問もあった。
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質問者:
親族がギャンブル依存症です。3年くらい前から自助グループに行くようになり、劇的に変わりました。
帯にあるように自分と似た他者が集うことで、同じ思いを持った人たちが影響しあって治していく。
そこに現代の孤独を感じる人たちの心を癒す鍵があるのかなと思うのですが、信田さんのお考えを教えていただきたいです。
信田:
なぜ自助グループで回復するのかは、実は本人たちもわからない。理由はわからないけれど、「グループで集うことで(例えば)酒がやめられる」という事実が先にあったんですよ。
1935年っていう第一次世界大戦後のアメリカでは、アルコールでどうしようもなくなった人は刑務所か悪徳精神病院に行くしかなかったんですよ。だから中流階級の、アルコール依存で困った経済力も知力もある人たちは、とにかく自分たちで集まった。
「今日一日だけお酒をやめよう」と言って、自分の体験を話して、そしたらその日は飲まないで済んだ。 断酒が二日、三日と続いて「これはいい」と全米に広がり、今や世界中に広がりました。誰かが基礎理論を作ったのではなくて、結果的にそうなった。
自助グループでは偉い先生と一対一で話すのではなくて、いろいろな人がいるグループに対して話す。
グループとは、一人ずつの集合ではないの。 一人ひとりが集まっているんだけど、その空間にはグループ全体という概念がある。
だからグループに向かって話すっていうのは、その中の誰かではなく、「グループ全体」という何かに向かって話すんです。
私はこの全体という概念が、グループの素晴らしいところだと思う。 それは個人では絶対できない。
AIによってカウンセリングが身近になった?
白石:
AIの登場によって、他者と集まるというのは面倒になりますよね。 他者が相手だと想定外のことも起こりうるし、うまくいくかどうかわからないから、リスクはあるし効率も悪い。
対話をAIと壁打ちで済ませてしまう人たちは、余計に孤独になるのかなという気もするんですが、信田さんはどう思いますか?
信田:
私はAIに肯定的なんですよ。実はAIによって、カウンセリングの現場が様変わりしています。
カウンセリングで聞いてみようと思ったことを、今は全部AIで聞けますよね。そうすると、カウンセリングはもう需要がなくなるかと思っていた。ところが大間違いでした。
「誰かに相談するなんて」と思っていた人が、気軽にAIに相談するうちに、誰か別の存在に尋ねるという行動に慣れてくる。だからカウンセリングに対する敷居が低くなった。
「AIはこう言うけど、やっぱり生身の専門家はどうなんだろう?」のような感じで、カウンセリングが身近になる。
だからAIに壁打ちをして一人になる人もいるかもしれないけれど、一方でカウンセリングという、自分以外の誰かに話す行動が身近になるというプラス面もあるのではないかと思っています。
白石:
他者のハードルが下がって、より人に相談しやすくなる可能性もある。
信田:
それでも私たちのレベルが低いと、 AIに凌駕されてしまいますね。AIの方が情報が豊かだから、生半可な実力のカウンセラーは淘汰されていくでしょう。
白石:
AIも結局一対一だから、カウンセラーに話すのとあまり変わらないとしても、統御できる人がいる中でグループカウンセリングをすればまた違った効果があると思っています。だからカウンセラーは今後、グループを扱える能力が重要になる気がします。
信田:
オンラインであっても、グループカウンセリングをしていると、そこから個人を超えたものが出てくる。
AA(アルコホーリクス・アノニマス)では「全体性」「ホールネス」という言い方をします。
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信田氏は最後に、ギャンブル依存症の親族である質問者へ「ぜひ、自助グループを続けるように伝えてください」と声をかけていた。
本書のまえがきには、次のような言葉が書かれている。
「何かに溺れて、私という意識を消し去ること。
何かに溺れて、異世界へ溶け込むこと。
私たちは溺れたい。溺れながら生きていたいのだ。
そうやってとりあえず生きていくことを、誰も責めることなどできない。」
アルコール、ギャンブル、オーバードーズ、推し活……巷はさまざまなアディクションであふれている。
形は違えどそれらは全て、溺れながら生きようとする姿に他ならないと本書を通して気付かされた。
溺れながら生きる誰かが、どこかで自分と似た他者とつながれるよう、私も引き続き依存症に関する発信を続けていきたい。
