薬物との接点は小学生が最初。「友達と遊べればよかった」〜「『回復』という毒」を出版した風間暁さん(上)
認定非営利活動法人ASKの理事、風間暁さんが「『回復』という毒」(日本評論社)を上梓した。同書の前半は自身の過去を振り返る試みだった。
公開日:2026/09/20 22:30
アルコールや薬物、ギャンブル等の依存症に関連する問題に取り組む認定非営利法人ASKの理事、風間暁さん(34)が「『回復』という毒」(日本評論社)を出版した。同書では、風間さんが幼少期から母親に虐待されてきたことや、父親がその虐待を見逃してきた話が書かれている。
本書は、母親からの虐待や施設での経験、薬物依存、そして支援の現場に立つ現在までを、本人の記憶だけでなくカルテの記録と照らし合わせながらたどる一冊だ。依存症を個人の問題としてだけでなく、家庭や学校、施設、医療との関係の中で捉え直す視点が示されている。
執筆する前から、カルテ787枚を取り寄せていた。講演などで自身の過去を話す機会があり、その記憶が医師らによって「汚染」されている懸念があったり、解離性障害のために記憶が抜けている可能性があったりしたためだ。今回の風間さんへのインタビューでは、特に依存症に関連する部分について話を聞いた。

加害者家族になり引っ越し。転校先で仲間ができ、薬物と結びつく
母親と父親が喧嘩をしたある夜、父親は車で出かけて、仲間と居酒屋で飲酒した。そして泥酔したまま車を運転し、人身事故を起こした。加害者家族になった結果、両親は離婚し、風間さんは母親と一緒に引っ越した。転校先で仲良くなった同級生たちに誘われ、河川敷で遊ぶようになり、その関係性の中で薬物に手を出し始めた。
「最初に使った薬物って(スプレー缶などの)ガスなんです。両親の離婚後、母に連れられて、母の地元に引っ越して、学校も転校しました。たぶん、今よりもひとり親家庭の人たちは生活が大変だったと思います。制度も充実していませんし。それまで専業主婦だった母が急に自立して生活しなければならない。母なりに必死で資格を取ったり、仕事をしたりしていたと思います。
そんな暮らしの中で、私は同級生の5、6人の男女混合グループと仲良くなりました。メンバーは入れ替わり立ち替わりで、学校に行っている子も、引きこもっている子もいました。リーダーは特にいなくて、不健全な自助グループのようなものです。ヤンキーとオタクの垣根もない感じでした。
グループで河川敷や公園にいたりすると、酒を飲んだり、タバコを吸ったり、ガスを吸ったり...…。そういうことを日常的にやっていました。誘われたわけではないですね。お互いに惹かれあったという感じです」
メンバーに共通していたのは、学校や家庭に居場所を見いだしにくかったことではないのか。風間さんは、当時をそう振り返る。
「私が一緒に遊んでいた人たちって、そもそも学校単位で社会を捉えていない。だから、一時間目の途中でみんなで川に行ったりしていましたね。学級崩壊をしていたんでしょうね。授業なんか受けたことないです。学校の中でどうするのかという発想は全くなかった。排除されたわけではないし、適応していたわけでもなかった。
共通していたのは、どの子も家庭が崩壊していたというところでしょうか。少なくとも親とか、大人とかに一切期待していない子たちの集まりでした。やんちゃな子も引きこもりの子も、同じでした」

友達と一緒に遊んべるなら、ガスでお酒でも水でもよかった
そんな仲間たちとつるんでいる中で、風間さんは酒やタバコ、ガスを覚えていく。
「タバコは毎日吸っていましたね。酒もガスも、やるにはやりますが、たまにやる程度。大人たちが友達と遊びにいく口実として『飲みに行こうよ』と誘いますよね。たぶん、それと同じです。一番の目的は、友達と集まって話すこと。だから、ガスがなくてもよかったんです。当時、コンビニで桃味の水が売られていたと思いますが、それを割り勘して買って、長いストローだけもらって、回し飲みする。それでもよかったんです」
つまり、風間さんは、友達と遊べるなら、その手段は酒でもタバコでもガスでも桃味の水でもよかったということだ。それでも、実際には非行と呼ばれるような行為もし始めていた。朝まで帰らないこともよくあった。
「家にいるより、朝まで帰らないほうがよほど安全だと思っていました。友達の家に入り浸ったりしていました」
学校に適用できないなかで非行少女として補導をされる
こうした生活は、中学入学後も続いていく。
「ただ、いろんなグループと付き合うようになったので、いつも同じメンバーで集まるわけではないです。私は早熟だったので、当時、20代後半のパートナーがいました。車を持っている年上の人と遊びたかったんです。全然違う世界を見せてくれるから。周りはみんな18歳以上でした」
「先輩の先輩、友達の先輩、誰々のお兄ちゃんの友達とか、毎日、誰かよくわかんない人と集まって遊んでいました。ボーリングに行ったり、ドンキに行ったりして。薬をやる人もいれば、やらない人もいました。薬をやる・やらないは重要じゃない。遊んでいたかっただけですから。それ以外に生きている目的もなかったんです」
学校での生活はどうだったのだろうか。
「当時、小中学生が当たり前にこなしているカリキュラムをやる意味がわからなかった。誰も説明してくれないし。なんで学校に行って勉強をするのか。そもそも私は、親から適切な教育を受けていないから、学校に行ってもよくわからない。異世界に放り込まれる感じできつい。極端に言えば、気持ち悪い。校長先生が話をするのを、黙って聞いている意味がわからない。言っていることに誰も反論しない。その意味がわからない。なんで言わないの?なんで黙って聞いているんだろう?そんな疑問ばかり浮かんでいました」
中学1年のころになると、警察に補導されて、児童自立支援施設に入所する。薬物への本格的な依存は、入所してから始まった。
(つづく)
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コメント
ほんとに過酷な子供時代だったのですね。色々なタイミングであの時風間さんのことを気にかけて声を掛けてくれる大人がいたら救われるタイミングがあったのではないか?と思う。私はそんな大人になりたい。
