Addiction Report (アディクションレポート)

「声をあげる」は無駄なのか? 私たちの意見を制度に反映するために

日本のアルコール問題対策では、飲酒下の暴力や貧困にさらされた家族や当事者への対応は、後回しにされてきた。いまも世間では、「家庭内のいざこざ」「節制できない人が悪い」と、問題の原因を個人に求める風潮が根強い。当事者とそうでない人たちの溝を埋める手立てはあるのだろうか。

「声をあげる」は無駄なのか? 私たちの意見を制度に反映するために
※画像はイメージです。

公開日:2026/04/16 02:00

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後編では、小野田美都江さんの話をもとに、「誰かの問題」を「社会全体の問題」として共有し、政策や制度につなげていくために何が必要なのかを考える。

(取材・文:遠山怜)


「声を上げる」は無駄なのか

——前編・中編では、被害が可視化され、医学的な裏付けがあっても、それだけでは制度は動かず、世の中の見方もすぐには変わらないことを見てきました。では、誰かの困難が「社会全体の問題」として政策に取り上げられるには、何が必要なのでしょうか。

小野田:それはとても難しい問題ですね。少なくとも、日本のアルコール政策の過程を振り返っても、「こうすれば必ず法律になる」と明確な指針を示すのは、難しいと思います。時代性やタイミングも大きく影響するからです。

(写真)小野田美都江さん 関西大学総合情報学部特任教授。大手ビールメーカー勤務を経て、アルコール政策過程の研究者に。専門はアルコール政策過程論・飲酒文化論。著書に『飲酒と社会の交差点』(勁草書房、2026年)。

ですから、現実には、国民の強い反対があっても法律になることがありますし、逆に多くの人が必要だと感じていても法律にならないこともあります。最終的に国会で法案が可決するまでは、何ひとつ確実ではありません。

ただ、ひとつ言えるとしたら、「世論の後押し」を作っていくことは非常に大事だと思います。

——世論が動いたことで、政策が前に進んだ例もあるのでしょうか。

小野田:たとえば、1999年に起きた東名高速道路の飲酒運転事故や、2006年の福岡県海の中道大橋の飲酒運転事故が例としてあげられます。両事件とも、事故で亡くなった被害者の遺族が中心となって、飲酒運転の危険性と法の厳罰化を訴えてきました。

そうした活動を受け、2001年と2007年に法改正が行われ、飲酒運転に対する処罰は強化されていきました。そうした流れは、のちの自動車運転死傷処罰法にもつながっていきます。福岡県は事件を受け、毎年8月25日〜31日を「飲酒運転撲滅週間」として、予防・啓発キャンペーンを実施しています。

こうした地道な活動の結果、ドライバーや同乗者、飲食店の意識も、徐々に変わってきたのではないでしょうか。多くの人々が、『自分にも起こり得る』こととして、行動するようになった。

——飲酒運転事故の例では、被害者遺族の働きかけを通じて、世間が「自分の身にも起こりうること」として受け止めるようになったわけですね。では、日本のアルコール対策を、健康や福祉の観点から見直すには、どうしたらいいのでしょうか。

小野田:やはり第一には、市民の側から声をあげていくことではないでしょうか。

日本の政策決定は一筋縄ではいきませんし、思った通りの法案がすぐ成立するわけでもありません。ですが、大事なのはそこで諦めないことです。少なくとも、日本のアルコール政策史を振り返れば、市民の声が政策に反映された例は確かにあります。

また同時に、国会議員も政策の審議過程を、積極的に開示するべきだと思います。国会議員は、国民の民意を実現すべく選ばれたわけですから、法律が成立する前に、今どのような法案が審議されていて、誰がどんな発言をしているのか、市民に共有する責務があると思います。

「当事者の声」が届く場とは

——日本のアルコール対策のなかで、後回しにされてきた当事者や家族は、いまも事態の改善を求めて声を上げています。ですが、当事者とそうでない人たちのあいだには、問題の認識にかなり温度差があるように思います。この断絶を埋める手立てはあるのでしょうか。

小野田:そこが一番難しいところですね。一つには、政策の関係者会議に、「当事者とその家族、支援者」以外の人を招き、対話を試みることでしょうか。

問題に関心を持っている人は、どうしても似た背景を持つ人に偏りやすく、議論が均質になりがちです。アルコールの問題を、被害や困難にフォーカスして考えることは非常に重要です。ですが、そこにだけ焦点を当てたら、政策に別の観点から意見を持つ人の声が反映されにくくなってしまう。

たとえば、「お酒を楽しく飲みたい」人や、「お酒の良さを伝え、地域の活性化につなげたい」人は対話に参加できず、結果的に分断が生じてしまう。どちらか一方の意見を聞くだけの場では、対話は生まれません。いろんな立場の人が問題に関心を持たない限り、結局は問題を抱えている人が孤立してしまう。

私は、お酒を「飲む」「飲まない」両方の観点から考えていく必要があると思います。お酒が飲めない、飲まない人への配慮も忘れず、一方で飲める人・飲みたい人も排除しない。それぞれの意見が同じ重みで扱われる場があれば、「みんなの問題」に近づいていくのではないでしょうか。

——アルコールをただ規制しただけでは、「それでも病気になったら個人の問題だ」と、新たな自己責任論に発展する恐れもあります。当事者の声を社会全体の課題として届けるには、当事者ではない人びとも関われる場をどう設計するかが重要になる。その模索が、自己責任論を脱する手掛かりになるのかもしれません。

小野田:そうですね。私は現在、「お酒のリテラシー」を広める活動をしています。愛知県名古屋市の志段味図書館で「しだみお酒の研究会」というセミナーを開催し、専門家の先生をお招きして、お酒の良い面と悪い面の両方の話をしています。

(写真)愛知県名古屋市の志段味図書館で開催した「しだみお酒の研究会」の様子。愛知アルコール連携医療研究会の医療従事者による健康・依存症リスクの解説に加え、お酒の歴史や文化について語り合う場を定期的に設けている。2026年は「みんなのお酒リテラシー・セミナー」として開催予定。

(写真)志段味図書館では依存症に関する書籍の紹介や、相談窓口の案内も行っている

図書館という誰にでも開かれた場で、参加してくれた人が、お酒とどう付き合うのかを考える足がかりになればと思っています。お酒に悩んでいる人や、困難を抱えている人を社会の中で孤立させないためにも、この問題をみんなの「自分ごと」にしていきたいです。

「当事者の声」だけで問題を「みんなの問題」にしていくのは簡単ではない。だからこそ、当事者の声を起点にしながら、立場の異なる人びとが関われる対話の場をどう設計するかが鍵になる。異なる立場の人びとによる対話は、おそらく、きれいごとだけでは成り立たない。しかし、「自己責任論」を脱する道は、そうした模索の先にあるのではないか。


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