アルコール問題のある家庭、パチンコにハマった医学生時代——僕が薬物依存症の患者に「薬を飲んでもいいから生きて」と言える精神科医になったわけ
福岡市・博多で依存症の診療をしている宇佐美貴士さん。市販薬の過量服薬がやめられない患者さんに「薬は飲んでもいいから、生きるのが大事だよ」と声をかけたエピソードが気になっていました。なぜそんなことが言えるお医者さんになったのか。インタビューしました。

公開日:2026/04/21 02:00
以前、性同一性障害やうつ病、発達障害など複数の生きづらさを抱え、市販薬の過量服薬(オーバードーズ)に依存していった精神保健福祉士の善太郎さん(仮名)という方を取材したことがある。
入退院を繰り返し、ある日、入院中に自殺まで図った善太郎さんに、「薬は飲んでもいいから、生きるのが大事だよ」という言葉をかけた医師のことがとても気になっていた。善太郎さんはこの言葉に安心し、体調の波はありながらも今も生き延びている。
この精神科医、宇佐美貴士さん(39)を善太郎さんに紹介してもらい、福岡に取材にいった。
アルコールの問題を抱えた家庭で育って
実は、宇佐美さん自身も、アルコールの問題がある家庭に育った。父親は家に帰れば飲んで寝てしまうだけの生活。酒を浴びるほど飲むわけではないが、飲んでいる父が嫌いな母は感情的に小言を浴びせる。父は話し合いで解決できるタイプではないので、ストレスをため込みたくさん飲んで爆発する。そして母親と衝突する。両親はしょっちゅう喧嘩し、一人っ子の自分が仲裁するのが常だった。
「僕はいわゆるアダルトチルドレンなのでしょうけれども、家庭環境が依存症に関心を持たせたことは間違いなくありますね。親がこの記事を読むかもしれないから、言いたくても言えない体験談がいくつもあります。依存症に巻き込まれてしまう家族の気持ちはすごくわかります」
父親自身も苗字が何度も変わるような不安定な家庭で育ったらしい。高校生から単身で生活し、バイトで学費を稼いで大学を出て教師になった人だ。ずっと孤独に生きてきたことで、母との関係もうまく紡げなくなった。お酒が「自己治療」だったとは、自分が精神科医になってから気づいたことだ。
小中高校とそんな毎日が続き、友達にもそんな家庭の事情は言えない。「早くこの家から出ないと、僕もおかしくなる」と思っていた。自宅から離れた医学部に進学したら、学費も出してもらえるし、一人暮らしもできるだろう——。それが医学部進学の一番の動機だった。勉強して成績を上げることに没頭することで、自分の心を保っていた。
自宅から遠く離れた佐賀大学医学部に合格し、念願の一人暮らしが始まった。
「親から離れると、すごく楽になりました。今、自傷している子とか薬をオーバードーズしていて生きるのがつらいと言っている子に『次のステージに行ったら楽になるかもしれないよ。だから次のステージに行くまで生き延びようよ』と言っているのは、自分の実体験からです。『10年後は違うかもしれないじゃん』と、実感を持って言っています」
大学でパチンコにハマり、孤独を解消
だが、大学に進学したからといって、全てがうまくいったわけではない。
成績は良かったが、小中高と一人ぼっちだったせいか学校で誰かといるのに自信がなく、同級生とは馴染めず、授業が終わると図書館に籠る。部活に入っていても、友達と遊びに行くのも緊張するから避けていた。孤立していたと思う。
だがある日、同級生が遊びに誘ってくれた。彼に連れていかれた先は、パチンコ屋だった。
「そこからは図書館の住人から、パチンコ屋の住人にチェンジです。彼は賢い子で、ギャンブルをバイト代わりにして、スノーボードなど僕の知らない世界を次々に教えてくれました。僕も初めて友達ができた気がして、彼と一緒に過ごす時間が好きでした。一緒にパチンコ屋にいたのですが、徐々にパチンコ屋という新しい居場所にハマっていきました」
パチンコの法則がわかってくると、金も稼げるようになった。パチンコを打ちながら参考書や暗記用のノートを開き、勉強する技も身につけた。
「パチンコのせいでたまに授業はさぼったかもしれないし、人の副流煙を吸って変な咳が出て心配になることもありました。それでも、勉強がおろそかになったわけでもなく、微妙なラインでコントロールできていたと思っています。何より孤独でなくなったのが自分にとってすごく重要でした。あとで彼からは、『あのまま図書館の住人をやっていたら、研究者の道もあったかもしれないのにごめんね』と謝られました」
「あまりお勧めできるやり方ではないですが、人によっては健康的ではない関わりが孤独からの回復には必要かもしれない。人につながって癒しが得られたことは、自分にとっても大事な経験でした。きっと依存症の方にもこういう経験があるのだと思って診療しています」
親のアルコール依存と、自分のパチンコにハマった経験。それがあるからこそ、今、患者さんに語れる言葉があると思っている。
「僕の当事者性は、おそらく依存症の診療にも役立っています。つらそうな患者さんに『僕自身もつらい時があって、誰にも言えなくて困っていたけど、言える人がいたら楽かなと思うよ。いつでも待っているから来てね』と言うと、『実は自分の親もこんな感じで……』と話してくれる患者さんもいます。そこは自分の経験を利用させてもらっていますね」
自殺未遂の「回転ドア現象」どうにかならないかと精神科に
医学部を卒業したのは2011年。学生時代から自殺対策に関心があったが、精神科は第一志望ではなかった。研修を始める時は救急科に進むことも考えていた。救急では不思議と、自殺未遂をする人を診ることが他の研修医よりも多かった。命を繋ぎ止めても、根本的な解決にならない歯痒さも感じていた。
「患者さんが自殺を選んだ原因にちゃんと関われていない。とりあえずICU(集中治療室)に一泊入院させて帰すのですが、また来てしまう『回転ドア現象』が起きていました。医師としてはできることが少ないのがつらくて、このままではいけない、きちんと勉強したいと思っていました」
自分がやりたいことは精神科にあるのではないか。2013年4月には九州大学病院の精神科に入職し、精神科医としてのキャリアをスタートした。
自殺や依存症だけでなく、精神科の診療を一通り身につけ、2015年には福岡市の精神保健福祉センターに派遣された。ちょうどその時、依存症と引きこもりの相談を始めるタイミングで、立場上まだ精神科医3年目だった自分が責任者となった。
「いきなり重たい仕事で不安はありましたが、個人的に依存症にせよ、引きこもりにせよ、みんなが抱いているような嫌な感情がありませんでした。さてどうしようかと思って手に取ったのが松本俊彦先生の本です。これは面白いぞと思いました。僕がやりたかった自殺や自傷の専門家でもあるし、ここから松本先生の追っかけを始めました」
「今まで私が勉強していたのは脳のこと、病気のことでした。正直なところきちんと人に関われていなかったと思います。でも松本先生は人を診ているんだと思いました。依存症って人間臭い病気だなと思ったし、魅了されました」
「推し」の松本俊彦さんの下で学ぶ
精神保健福祉センターにいると、最初は当事者は来ない。まず家族がやってきて、家族の相談にのっていると、そのうち本人がやってくる。
「役所だから薬の処方もしませんし、できることは相談です。いわゆる診察室でやってきたことは全然できない。でも、本人や家族と関わっていく中で回復していく様子を見て、これが僕がしたかった精神科医療かもしれないと気づきました」
何に困っているのか聞いて、環境調整をしたり、カウンセリングのようなことをしたり。診察室での仕事とはまったく違う世界を学ぶことができた。
もっと依存症の診療について学びたい。初めて松本さんの本を手に取ってから5ヶ月後の9月、松本さんが薬物依存研究部長を務める国立精神・神経医療研究センターに研修に行った。

「そこで初めて生のマツモトトシヒコを見たわけですよ。カッコいい笑。本に書いてあることをわかりやすく話すどころではなく、喋り出すとキレキレです。1時間があっという間に過ぎます。これまでこんな人と会ったことがなくて、一瞬で推し活を始めました」
この研修中、研修の参加者と松本さんの飲み会があった。そこでたまたま目の前の席に座ることができ、「依存症が好きで、自殺対策にも興味があって勉強したいと思っている」と打ち明けた。すると松本さんは「じゃあ、うちに来ればいいじゃん」と軽く返してくれた。
「そこで鵜呑みにして、『じゃあ行きます!』と言って翌年のレジデントに応募したのですが落ちちゃって。それから3年後の2018年に雇ってもらいました」
松本さんの診察にも何度も立ち合わせてもらった。本に書かれていない技や姿勢を日々学ぶ。とても貴重な経験だった。
「初診の時に、自傷とか、死にたかったことがあるとか、自殺を図ったことがあるかはナイーブな話題で、僕は切り込むのが下手くそだったんです。でも先生はそこを上手に聞く。『心配だから聞くんだけど』とか『専門家としてここは大事だから聞きたいのだけど』と自然な流れで聞いて、患者さんも話してくれる。この人だったら自分のことを話してもいいかもしれない、一緒に回復できるかもしれないという安心感を松本先生の診療からは感じました。本当にプロだなと感動していました」
地域に出ていき、一次予防へ
松本さんのもとで3年間働きながら学び、これまで松本さんが研究し、啓発してきたことと、患者さんの診療で実際にやっていることをつなげて理解できた。
「ある程度診療ができるようになったとき、診察室でできることは限界があると感じました。自殺にせよ薬物依存にせよ、本質的な解決を図るには診察室に来る前の段階での介入が必要だと。じゃあ一次予防はどこでできるか考えて、もう一回役所に勤めてみたいと思いました」
ちょうどその頃、北九州の精神保健福祉センターに務める機会をもらった。時はコロナ禍で、子供も授かった。東京での子育てに不安を感じていたこともあり、地元・九州に戻ることを決めた。
今度はセンターで相談を待つだけではなかった。
地元の病院と連携し、オーバードーズで搬送された人の退院後、本人の同意があれば自宅訪問をした。また、地元の学校に、市販薬依存や自傷行為で相談があったら来てほしいと教師向けにチラシを配ることもした。
「精神保健福祉センターがやっていることなんて、学校の先生方は知りません。子供たちはまず生きづらさがあって、その対処としてオーバードーズや自傷行為をやっているんですよと啓発をしながら、相談や訪問などいろいろできますよと自分ができること、したいことを伝えました。反響はよくて、気になる子がいる養護教諭さんたちが連絡してきてくれて、一緒にその子と会うこともできました。まだ医療が関わっていない段階で、一次予防的な介入ができ始めました」
薬物使用のスティグマを減らす
学校で子供たちに向けた薬物乱用防止教室もした。
前半は薬物を使うとこんな良くないことが起こるという内容。後半は実際、自分が診てきた若者たちがどんな悩みを抱えて薬を使っていたのかを伝えた。
「実際の診療経験が話せるのが僕の強みだと思ったんです。僕が診てきた若者に共通するのは長い期間一人で悩んでいたこと、信頼できる大人がいなかったこと。だから信頼できる大人を見つけましょうということを伝えます。信頼できる大人は例えばこんな人といった具体的な例も紹介します。勇気を出して相談につながってほしいとお願いしました」
もう一つ、子供たちに話すときに意識したのは、薬物使用につきまとうスティグマ(偏見)を減らすことだ。
「『なんで法律で禁止されていたり、用法用量が決まっていたりすると思う?』『なんでルール違反をしてまで使ってしまう人がいるのだろう?』と投げかけてみんなで考えます。僕はサッカーによく例えるのですが、サッカーでルールが決まっているのは競技を面白くし、みんなで楽しくプレーするためだし、イエローカードやレッドカードなど罰則をつけてまで禁止するのは、けがの防止と、やはりみんなが楽しく安心してプレーするためなんだよと伝えています」
「同じように法律で禁止し、用法用量を決めているのは健康被害を防ぐためだし、みんなで楽しく生活をするためなんじゃないかと僕なりの考えも伝えます。薬物を使う理由については、『つらい感情を和らげるため』といった自己治療について発言してくれる子もいてびっくりさせられます。『薬を使う人は悪い人ではなく困っている人かもしれないね、だから助けてあげて、信頼できる人と一緒に問題を解決しよう』と伝えています」
「これまでの薬物乱用防止教室はどちらかというと『薬物を使う人とは付き合うな』といった内容だったと思いますが、これはまずいんじゃないかと思っています。目の前の子どもたちの中には、両親が薬で捕まったことがある子もいるかもしれませんし、既に市販薬を不適切に使用している子もいると思います。悪いことをして捕まった人とか、ダメなことをしている悪い子だという烙印を、これ以上増やしたくない。『薬を使う人は悪い人』という見方を減らしてあげたい。そうでないと安心して相談できません」
「どこの学校にも絶対に2〜3人は、薬がないと今を生きていけない子がいます。そして自己治療的に使っていることを自分で知って使っている子もいるように思います。それなのに『薬を使っちゃダメ。ゼッタイ。』みたいに言えば、余計追い詰めてしまう。だから『悪い』ではなくて、『困っている』という言い方をして、『困った人を見かけたら、信頼できる大人に繋いでね』と話をしていました」
依存症の回復支援施設の「北九州マック」とも連携することが増えた。病院での診療経験を経た後のセンターでの仕事は、試行錯誤しながらも充実していた。
「役所の人間だから、学校などにも介入しやすいんです。病院に来る前の段階で、子供達に会って、話を聞かせてもらって関わると、また別のことが見えます。こうやって臨床と行政を行ったり来たりしながら、見る世界を変えて、経験を役立てていくことは大事なんだなと実感しました」
(続く)
コメント
ギャンブル依存症の息子がいる親として、薬剤師として是非お話ししたいと思いました。
