「自分を隠したくない」全てを曝け出した人気アナウンサーがたどり着いた境地
会社や家族を失い、実家に帰って一時はうつ状態に陥ったフリーアナウンサーの江田亮さん。友人が書いてくれた記事で止まっていた時が動き出し、自助グループにつながります。どんな風に回復していったのでしょうか?

公開日:2026/02/26 02:00
投資にハマって、組合から4000万円を横領し、組合にバレたフリーアナウンサーの江田亮さん(36)。
会社を辞め、妻とは離婚し、何もかも失ったところからやり直すことになりました。
どん底から、どう這い上がってきたのでしょうか?
離婚して、実家に帰って、鬱に
——組合の金の横領で、全て返してもいるから刑事事件にはされなかったんですね。
労働組合は除籍されました。会社を懲戒解雇されたと言っている人もいますが、会社本体は別組織なので会社に損害を与えた形にはなっていない。一応は、僕の自主退職なんです。退職金も出ました。
「迷惑をかけた自分は生きていても仕方ないから死のう」という発想がギャンブラーによくありますが、僕はそこで死んだ方がもっと迷惑をかけると思いました。だから自分から死のうとは思いませんでしたが、もし事故に遭って、生きるか死ぬかは自分の意思次第と言われたら、たぶん死ぬだろうと思っていました。消えられるものなら消えたかった。
2022年の12月8日にはダメ出しのようにフライデーに記事が書かれ、みんなに知られることになりました。妻の方から「離婚してくれ」と言われました。感情が昂っている時に決めることはないんじゃないかと伝えましたが、悪いのは僕なのでフラットな話し合いにはなりませんでした。
彼女の気持ちを想像すると、一緒にいるのが怖かったのだと思います。また何かするんじゃないかと。いったん信用できなくなったら、反省してもまたやるんじゃないかと思ったのではないでしょうか?
僕としては浮気や不倫をしたわけでもなく、彼女を好きなことは変わらないし、一緒にいてほしいと思ったのですが、離婚も当然だよなとは思いました。共依存の関係ではなく、スパッと切ってくれて、今思えば良かったのかなと思います。
2022年の12月中に家を出て、実家に帰りました。
——ご両親からは何か言われたのですか?
何も言いませんでした。実家に帰った時も、すぐに足が向かなくて最寄りの駅の喫茶店で2時間ぐらい過ごしていたんですが、意外と何も言われなかったですね。もう散々記事に叩かれた後なので、追い討ちはかけなかった。
——ご実家でどんなふうに過ごしていたんですか?
ここでがっつり鬱になりましたね。自分は鬱になるタイプではないと思っていたんですが、自分でダメなことをしてこうなって、ここまで自己肯定感が下がると逃げ道がどこにもない。精神科に通いました。
再就職の壁、デジタルタトゥー
半年ぐらい経った頃に、医師から「社会とつながった方がいい」と言われて、仕事を探し始めました。でも、デジタルタトゥーがたくさん残っているんです。それが追い討ちになるんですよ。自分は誰にも必要とされていないし、自分なんていらない存在だ——。そんなふうに自分自身を追い込みました。
——100 社ぐらい受けたそうですね。
受けたと言っても、エントリーシートを送るだけですが、ダメ元で送っても書類審査もまったく通らない。履歴書の上では綺麗でも、みんな僕の過去を知っているからです。めちゃくちゃ苦しくて、ずっと寝ていました。だんだん起き上がれなくなってくるんです。
外にも出ないから人とも話さないし、SNSで発信するなんて死ぬほど怖い。それをどう切り取られてニュースにされるかわかりませんから。

——それでも再就職はできたのですね。
早稲田大の時の同級生が、「こういう過去があるんですけれども、仕事はできるやつなので、雇ってもらえませんか?」とつないでくれて、小さい会社に入りました。社員もみんな優秀で、営業や広報として頑張ったのですが、色々と大変なことがあって結局、1年半ほどで繋いでくれた同級生と共にみんなで辞めることになりました。
その時は、アナウンサー以外の職歴もできたので、どこかに転職できるかなといくつか受けたら、前より面接してもらえるようになりました。僕の問題は履歴書に書く必要はないので、面接でいきなり言ったら話にならないだろうと思って言わないで受けていたんです。
3つ受けて全ていい感触でした。「来週、代表がイギリスから帰ってくるからぜひ会ってください」などと言われて、楽しみにしていた。でもその3日後にお断りのメールが来たんです。他も全部そんな感じでした。
おそらく僕の過去が足を引っ張っているんだと、その時気づきました。ああもう自分は会社員は無理なんだなと思いました。
それと同時に、会社員をやっている限り、「この話をいつ言うべきだろう?」「いつバレるんだろう」と思い続けるし、バレれば、こんな風に手のひらを返されるのだろうと考えました。この先40年ぐらい働くのに、それはしんどいなとも思いました。
フリーのアナウンサーへ「自分を隠したくない」
そこで、自分一人生きていく分ならなんとかなるかもしれないと、腹を括ったんです。アナウンサーは好きな仕事だったし、前の会社でも知り合いの制作会社から、ナレーションの仕事をバイトでもらったり、CMのナレーションを入れる仕事をしたり、ちょこちょこやっていたんです。
もう二度とできないと思っていたけれど、やっぱり楽しい。どうなるかはわからないけれど、最低限食っていくぐらい頑張ればできるんじゃないかと、フリーのアナウンサーになろうと決めました。お金のために自分を隠して生きていくのがすごく辛かったんです。
それを決めたのは、2025年の4月でした。前向きな決断というわけでもなくて、こういう選択肢を取ることしか僕には残されていなかったんですよ。「勇気があるね」と言われるのですが、この方向でやっていくしかない。そして、もう自分を隠したくないと思いました。自分と仕事をしてくれる人、向き合ってくれる人は、「もう全部ご存知ですよね。その上で一緒に仕事をしているんですよね」と思える関係でいたかった。
そのためには全部オープンにしなくちゃいけないなと思いました。読売新聞の他社同期の記者に、「プロフィール代わりに一回全部出したらどうだ?」と言われて、書いてもらったのがあの記事だったんです。「フライデーには適当に書かれて、お前は何も答えていないんだから」って。
それが、800万ページビューととんでもない閲覧数で、社内の月間の賞を総なめにしたそうです。
アナウンサー事務所は全て契約してもらえませんでした。自分を世に知らしめる方法がないのでフリーになるタイミングでInstagramを始めたのですが、ほとんど届かなかった。それが、あの記事を書いてもらったとたん、色々なものが動き出したと思います。
「あなた、ギャンブル依存症ですよ」
——その記事でギャンブル依存症問題を考える会代表の田中紀子さんに「これは絶対ギャンブル依存症だよ」と気づかれて、連絡が来たのですね。
まず、元NHKアナウンサーの塚本堅一さん(違法薬物で逮捕経験があり、依存症啓発に取り組んでいる)から連絡がありました。その時は自分が依存症だなんてまったく思っていません。「依存症」という言葉は怖かったのですが、仕事もないし、時間もあるし、知識の幅が広がればいいなと思って、軽い気持ちで田中さんと塚本さんに会いました。
——そこで騙し討ちのように「あなた、ギャンブル依存症です」と言われたんですね。
びっくりましたね。やっぱりちょっと、うっとなった。でも、否定できるほどギャンブル依存症のことを知らないな、とも思いました。それで話を聞いているうちに、自分に当てはまることが多いし、依存症っていうのは自分が思い描いていたものと違うなと思いました。

りこさん(田中紀子さんの愛称)はうまいんですよね。たくさん介入しているので、こういう学歴、経歴、身なりの人間にはどう話したら受け入れられるかよくわかっている。こちらのプライドを保たせつつ、嘘もつかない。
——優秀な人間がなると言われたり。
そういうことをすごく言われたので、すっと受け入れられた。あと大きかったのは、「私、まどろっこしいのは嫌いなんで、啓発活動にスカウトしたいんです。一緒に啓発していきましょう」って言われたことですね。
——ワハハ。言いそうですね。
「ギャンブル依存症で有名になってニュースになる人っていないんですよ。私しか表に出る人いないので、江田さんがやったらいいんですよ」と言われました。
僕からすると、そういうのを探してたんです。自分の過去をオープンにして、もう逆張りです。アナウンサーとしては、好感度があって、みんなにいい人だと思われていたのに、逆方向に行く。これでやる。自分のやらかした経験を使うというと語弊がありますが、他の人が持っていない経験なので、何か役に立つ方向で生かしたかった。渡りに船だったんですね。
だから割と、差し出された手をスッと取れた感じではありました。でも、その時はまだ全然理解していなかった。なんかこれが仕事につながったらいいなみたいな下心があったと思います。
時間が受け入れさせてくれた
——「否定するほど知らないな」とすぐ思えたのは、さすがですね。聞く耳を持てたのは、まさに知性の力ですね。
やはり事件があってから3年経っていたので、それも大きかったと思うんです。りこさんがよく言いますが、やらかした直後に声をかけられてもたぶんつながらなかった。この3年間、色々苦しんで、世間に受け入れられないとか、生き方が今まで通り行かないとか、ルンバみたいに壁にぶつかってぶつかって、自分の行く方向を探していた時に、カチッとはまった。そんな風に言われました。
だから苦しんだ3年も無駄ではなかった。依存症と向き合うことや、燃えたての時にもう一度燃える行動を取るのはもっと勇気がいるし、世間の温度と自分の温度を下げたから受け入れられたのだと思います。
——つながってからはどうしたんですか?
りこさんが色々な講演や自助グループに連れていってくれたんですよ。「伝い手になるには、伝える現場を知ってもらわないと」と言って、色々な現場を見せてくれた。半分取材ですが、半分当事者でもある。最初は自分のことだと思っていなかったのですが、半年ぐらい続けて自分のことだと感じられるようになりましたね。
自助グループに通って気づいたこと
——自助グループにはその後も通っているのですか?
りこさんと一緒に最初に行って、それ以降GA(ギャンブラーズ・アノニマス、ギャンブル依存症の自助グループ )にずっと行っています。著名人の集まる自助グループにも毎月行っています。
——参加するうちに気づくことはありましたか?
いろいろありましたね。否認はそれほど強くなかったし、せっかく行くのだから人の話を聞かなくちゃと思ってはいたのですが、聞いていると「わかるわ」と思うことがたくさんある。「わかるわ」が多いということは俺は依存症なんだと、自分の鏡として人の話を聞いていました。

自分のことは自分が一番わからないものです。どれだけ今までの自分が見たくない自分から目を背けて、自分のしたい方向に走ってきたかに気づいていきました。自分で自分を顧みるのは難しいですが、自分の代わりに他人が顧みて反省している言葉を、自分の反省として聞けるようになってきました。
そうなると、色々なことが変わってきますよね。
「ミーティングに行くと、依存行動が止まる」と言いますが、なぜ止まるのかはわからない。最初は止める方法を教えてくれるのかと思っていたんです。でも、他の人が話しているのを聞いていると、だんだん自分がなぜそこに逃げていたのか気づく。なぜやったら止まれないのかに気づく。気づくと人間止まりますよね。
でもそれだけではダメで、根本が治るわけではない。やはり「12ステッププログラム」でもっと深く自分と向き合わないといけないので、2つの軸が必要だと思っています。自助グループは止まるけど、それだけでは回復しない。止まってきたところで並行して12ステッププログラムをやって、根本的に直す、回復するんだなと最近気づきました。
——12ステッププログラムで自分に向き合うと、どう変化するのでしょう?
一番大きいのが「棚卸し」といって、自分は何に恐れ、何に怒るのかを出していき、自分も悪くないか振り返ることをするんです。そうすると、確かに相手がこうしてくれるだろうとか、こうなるだろうと言う思い込みが裏切られた時にイラッとするんですね。
それをやっていくうちに、普段の生活の中で、イラッとした時、その原因に気づいて気持ちを収められたり、心の波がなくなったりする。だいたいみんなそんなふうにむしゃくしゃしている時にギャンブルをするので、それに気づくと、衝動がなくなる。お金を使いたいとか、飲みたいとか、騒ぎたいという衝動もなくなっていくんですよね。不思議なもので。
12ステッププログラムは医学的なエビデンスは僕は提示できないのですが、おそらく認知行動療法のような部類に入るのではないかと感じています。
僕はやはりお金に捉われていたし、幼い頃にお金がなかった経験がその後の自分をかなり縛っていた。その反動でお金を使うのが楽しかったし、人にダメだと思われたくないという恐れがあった。
でもプログラムを受けているうちに、それは果たしてそんなに気にしなくちゃいけないことなのだろうかと気づく。人間は意外と自分の棚卸しはしないですよね。面倒臭いし、向き合うと疲れるし。でもやってみると自分の根本にあるものに気づく。自分の考え方はおかしいともわかった。面白いなと思いますし、棚卸しをして良かったなと思います。
回復して、変わっていく人生
——行動や人間関係も変わりました?
変わりましたね。あまりお金を使わなくなって、飲み会もそんなに行かなくなりました。もっと楽しいことがあると今は思えますし、むしゃくしゃしたからやけ酒、という感覚は無くなりました。
そもそもギャンブルはお金を稼ぐ手段として間違っているのに、その当たり前のことに気づいていなかった。よくりこさんは「生き方が変わる」と言います。実際、本当に自分にとって意味があると思える集まりにしか行かなくなりました。付き合う人も変わり、時間もできると、価値観も変わるし、やはりどんどん人生が変わっていくのだろうと思います。
人によっては「捉われていた自分から解放された」とか「今までの価値観を捨てていく」と言うのですが、余計なものを落としていって、本当に大事なものだけを選んでいくと人生が変わる。霧が晴れたようだと表現する人もいますが、そんな感じですね。
——今はどういうことに時間を使っているのですか?
今は通信制の大学に通って、精神保健福祉士という国家資格を取るための勉強中です。りこさんから勧められたのですが、障害や精神疾患がある方の社会復帰を促したり、そういう社会システムを作るためのお手伝いをしたり、そういう世界を知ってた方がいろんな話はしやすい。
そもそも依存症の人で「休職して、戻れるんだろうか」と不安に思っている人は多い。そういう世界を理解しておくことはいいのではないのかと思います。
また、僕はファイナンシャルプランナーの2級を持っているのですが、1級も取りたいなと思っています。お金を正しく理解していなかったからあんな問題を起こしたし、セミナーなどで話をするならそういう知識も欲しいと思っています。
またニュースメディアを自分たちで作る計画も動いています。メディア、特にテレビが依存症を怖いものに作り上げたイメージがあります。そこにかつて所属していたものの責任として、そのイメージを変えていきたい。
報道をやっているときは、「これって人のためになっているのかな」と考える時もあったんです。でも依存症などへの偏見をなくすことで、苦しんでいる人が生きやすくなるし、何より自分が助かります。初めて人のため、ひいては自分のためでもあるのですが、そういうことがやりたいと感じています。
当事者としての立場で発信できる人はそれほどいないので、自分が何ができるか準備しているところです。
変わってきた仕事観
——また別のアナウンサー像というか、新たなメディア像が自分の中で生まれたのですね。
これまで自分が野球実況をするのが楽しいという気持ちでやっていたんですが、自分の発信が世のためになるし、意味のあることになるという気持ちがそれにさらに乗っかってきた感じがします。
仲間も生きづらさや怖さを抱えているし、世の中の人が依存症は悪いものだと思っているから認めたくない気持ちが強い。でも、否認して支援者に繋がるのが遅くなると、悲劇的なことになるパターンもあります。もっとすっと依存症であることを受け入れられる世の中だったら、助かる人が増える。
昔はやりたいことをやるのが楽しいことだと思っていたんですよ。でも最近思うのは、できることをやることが楽しいんだなということです。
もちろん、野球の実況とか、楽しいバラエティーとかナレーションとかもやりたいですよ。でもそれは残念ながら、今の自分にやらせてもらえることではない。本当は今アナウンサーをやった方がよほど色々な話ができるなと思うんですよ。失敗から学ぶことはあるとみんな言うのに、一度失敗した人はテレビで発信することは許されない。
ただ、野球の楽しさを伝えるのも、依存症への偏見を正して、正しい知識を伝えるのも、やってることはそう変わらないはずです。それは自分がそれなりに努力して頑張った10年の実績があったからできることなんだなと思えば、すごく違ったことをやっているわけではない。
さらに言えば、こういう自分だからこそできることなんだから、隠す必要もない。自分を変に下げる必要もないと思うんです。色々もがいた末に、今、自分がありたいと思った形に近づいているような気はしています。
人生を諦めない
——じゃあ楽になりましたね。
そうなんです。楽になったんです。勇気があるねと言われることがありますが、僕は楽になりたかった。自分の本当の姿をずっと見せられなかったけれど、自分を出したら、受け入れてくれる人もいた。そしてそんな自分を求めてくれる世界もあると今は思えます。
自分を出すことは怖いし、他人に対して「全て曝け出していきましょう」とは言えません。僕の場合、こうせざるを得なかったから半ば強制的に出すことになっただけで、結果的にそれで楽になりました。

自分の犯した過ちはもう変えられません。後悔はしていますが、死ぬまで「あれをやっていなかったら、自分の人生良かっただろうな」とは思いたくない。逆に、あれがあったから今こうしていられる、と思いたい。やっぱり人生諦めたくない。
根本はギャンブラーなんだと思います。人生負けっぱなしは嫌なんで、絶対負けたままでは終わらんぞと思っています。これからもうまくいかないことはきっとあるし、過去のことでまた悔しい思いやしんどい思いをすることはあるでしょう。誰だってうまくいくことばかりじゃない。
でもそうなった時に、今まで以上に消化できるようになりました。自分をコントロールできるようになっています。
僕だけではなく、世の中の人は誰もが何かに依存しているし、その依存が強いか強くないか、何に依存しているかだけの違いです。だから本当に、みんな他人事じゃない。何をきっかけにどうなるかは分からない。でも人生狂ってしまう前に、「ちょっと痛い」ぐらいで気づけたらいいなと思います。軽傷で済むためにももう少しみんなに依存症について知ってもらいたいなと思いますし、そのために自分ができることをやっていこうと思っています。
(終わり)
【江田亮(えだ・りょう)】フリーアナウンサー
1989年生まれ、神奈川県出身。早稲田大学卒業後、2013年にCBCテレビへ入社。プロ野球、競馬、ボクシングなど200試合以上のスポーツ実況を経験し、TBS系列「アノンシスト賞」を2年連続受賞するなど、技術と実績を兼ね備えたアナウンサーとして活躍。
2022年、労働組合費の横領により同局を退社。退社後、自身の過ちの背景に「ギャンブル依存症」があったことを自ら公表した。現在は回復を続けながら、フリーアナウンサーとして再始動。自身の経験を隠すことなく共有し、ギャンブル依存症が人生に及ぼすリアルな実態や、社会的な問題について伝える活動を通し「依存症者への間違った偏見と正しい知識」を届けている。
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